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 あの夜、いったいどれだけの血が流されたのだろうか。

 1989年6月4日。中国の民主化を求めた学生らが、人民解放軍の部隊によって殺された。天安門事件から、きょうで30年の節目である。

 いまも真相は闇に包まれている。死者数を当局は319人としているが、実際ははるかに多いとの見方が根強い。

 「動乱」「反革命暴乱」と当局は決めつけたが、学生らは対話要求など平和的な運動をしただけだ。遺族はそう訴え、再評価や名誉回復を求めている。

 共産党政権はこうした声に応えて真相解明を進め、公表すべきだ。ところが、現実にはその逆のことが行われている。

 国内メディアは事件について何も伝えず、ネットでの検索もできない。関連する言葉をSNSで発信するのも難しい。少なからぬ若者らは事件自体を知らないという。

 今年は建国70周年。共産党はこの間の中国の発展は自らの政策の正しさを示すと宣伝している。ならば、なぜ真実を隠すのか。天安門事件を歴史から消し去ってはならない。

 共産党政権はかねて強権発動の理由として「社会の安定」を挙げる。だが長期的な安定を望むなら、人々の不満や願いを抑えつけるのではなく、政治に生かす改革こそ必要だ。

 この30年間、経済は発展し、国民の暮らしは豊かになった。だが、思想や言論をめぐる環境はどれほど変わったか。

 ノーベル平和賞を受けた劉暁波(リウシアオポー)氏はおととし、政権転覆扇動の罪に問われたまま事実上の獄死を遂げた。人権派の弁護士らは長期拘束が相次ぐ。

 「安定」の名で異論を封じる統治は、ネット時代になってさらに徹底している。あのとき学生らが渇望した民主化は今なお押しつぶされたままだ。

 どんな体制の国であれ、国民の命と自由を奪う正当性などありえない。軍事弾圧が「正しかった」と言い続ける限り、共産党政権に正義はない。

 事件は対外的な国の姿にも色濃く尾を引いている。中国が「通商の自由」「平和発展」などを語っても不信感が拭えないのは、人権や自由という基本的な価値の共有もできない国情を事件が思いださせるからだ。

 当時、西側主要国が対中制裁を続けたなかで、日本はいち早く経済支援の再開を表明した。孤立させれば、かえって民主化が遅れてしまうと主張した。

 その見通しは甘かった。だが中国の改革を促す意欲は今こそ発揮すべきだ。あの事件の総括と民主化なくして、中国の真の発展はない。そう言い続ける責務を日本は果たしていきたい。

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