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 川崎市でスクールバスを待つ小学生らが男に襲われ、20人が死傷してから10日が過ぎた。

 何の落ち度もない子どもや付き添いの父親の命を奪い、全国の保護者や学校に深刻な不安を与えた。許せない犯行であるのは言うまでもない。一方で事件は、私たちの社会が抱える課題も浮かびあがらせた。

 まず、加害者がその場で自殺したのを受け、「死にたければ1人で死ね」との声がテレビ番組やネットにあふれた。これに対し専門家らが「類似事件や自死を誘発する恐れがある」と警告し、何とか沈静化した。

 被害者を悼む感情からの言動であっても、思わぬところで別のだれかを追いつめることがある。SNSが発達し、自由に発信できる時代だからこそ、心に留めたい教訓だ。

 男がひきこもり状態だったことが事件と関連づけて報じられると、家族会などが懸念を表明した。危害を加える人は極めてまれなのに、「ひきこもりは怖い」といった誤解が広がると、本人も周囲も追い込まれて事態はより悪化する、と。

 それを裏づけるように事件の4日後、農水省の事務次官を務めた76歳の男が、ひきこもりがちだったという44歳の長男を手にかけた疑いで逮捕された。家庭内暴力に苦しんでいたことに加え、川崎の事件を見て、長男が近くの子どもらを襲うのではないかと恐れたという。

 どちらの事件も捜査中で未解明の点が多い。だが、これまでに見えてきたのは、人が社会と接点をもつことの大切さだ。

 法務省・法務総合研究所の6年前の報告書は示唆に富む。

 無差別殺傷をした52人の判決などを分析した結果、動機で最も多いのは自己の境遇への不満だった。交友や家族関係の希薄さ、職業の不安定さもうかがえた。報告書は「社会的孤立を防ぐための『居場所』を作る施策は、事件の防止にも資する」と指摘している。

 自己責任と突き放し、行き場を失わせるレッテル貼りとは対極にある考えだ。

 孤立に苦しむ人が帰属意識を持てる様々な場を用意し、一人でも多くをいざなう。そのために一歩一歩距離を詰めてゆく。社会に求められるのは、そんな地道な努力ではないか。

 もちろん簡単な話ではない。川崎の容疑者については、市が親族の相談を受けて助言もしたが、犯行は起きてしまった。世間体を気にして専門機関や支援団体の門をたたくことすらできない人も少なくないという。

 社会の偏見が孤立を深め、孤立が生む絶望が社会の敵視につながる。そんな負の連鎖を断たなければならない。

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