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 冤罪(えんざい)はあってはならないという観点から事件を見直すことよりも、法的安定性を優先した決定と言わざるを得ない。

 40年前に鹿児島県大崎町で男性が遺体で見つかった事件で、最高裁が、裁判のやり直しを認めた地裁と高裁の判断をいずれも取り消し、再審を求めていた女性の訴えを退けた。極めて異例な事態である。

 もちろん確定した判決が簡単にひっくり返ってしまっては司法への信頼はゆらぎ、社会に悪影響を及ぼす。だが事件の経緯を振り返ると、最高裁の結論には釈然としない思いが残る。

 最大の争点は男性の死因だった。確定判決は「窒息死」としていたが、再審請求審で弁護側は、転倒事故による「出血性ショック死」の可能性が高いとする法医学者の新鑑定を提出。高裁は、これを踏まえると確定判決には様々な矛盾や不合理が生じるとして、裁判のやり直しを決めた。

 しかし最高裁は、遺体そのものではなく写真を基にしているなど、新鑑定がかかえる問題点を複数指摘し、「高裁の評価は間違っている」と述べた。

 この事件では、窒息死させる際に使ったというタオルが見つかっておらず、また、女性の共犯とされた関係者3人の供述は不自然に変遷していた。3人には知的障害があり、捜査員による誘導が生じやすいケースだ。そもそも窒息死という所見も、すでに腐敗していた遺体を解剖した医師が「消去法」で推定したものだと、当の医師が認め、後に見解を変えている。

 そんな脆弱(ぜいじゃく)な証拠構造の上にある判決であっても、いったん確定した以上は、よほど明白な事情がなければ覆すべきではない――。それが棄却決定を通して見える最高裁の考えだ。「疑わしきは被告人の利益に」という、再審にも適用される鉄則に照らし、妥当だろうか。

 女性が再審を請求したのは3回目で、1回目でも死因に疑問が呈され、地裁が開始決定を出している(後に取り消し)。つまり今回の最高裁決定以前に事件に関与した八つの裁判体のうち三つが、有罪としたことに疑問を抱いているのだ。

 近年、DNA型鑑定をはじめとする科学技術の進展や、検察の手持ち証拠の開示の拡大により、冤罪が晴れる例が続く。再審開始決定に従わず、上訴を繰り返す検察に疑問が寄せられ、そのあり方も含めて、再審に関する法制度を整備しようという機運が盛りあがっている。

 今回の決定で、こうした流れが逆行することは許されない。裁判に誤りがあった場合は速やかに正す。そのための最善の方策を追求し続けねばならない。

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