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 日本の防衛政策の基軸となっている日米安全保障条約について、トランプ米大統領が公然と不満を表明している。

 「日本が攻撃されたら、我々は第3次世界大戦を戦う。しかし、我々が攻撃されても日本は我々を助ける必要はない。彼らができるのは攻撃をソニーのテレビで見ることだ」

 トランプ氏は6月、G20大阪サミットを前に、米テレビ局のインタビューでそう語った。

 サミット後の記者会見でも、日米安保は「不公平だ」と繰り返し、条約の破棄は否定しながらも、その「片務性」を変える必要があると安倍首相に伝えたことを明らかにした。

 ■「片務的」という誤解

 トランプ氏の見方は一面的であり、受け入れがたい。日米安保は両国の利益だけでなく、地域と国際社会の安定に大きく寄与している。

 日米安保が不公平という議論は今に始まったものではない。

 1951年に調印され、60年に改定された日米安保条約は、第5条で米国に日本防衛の義務を課し、第6条で日本に米軍への基地提供を義務づけた。

 「物(基地)と人(軍隊)との協力」といわれる、この「非対称性」こそ、日米安保の特徴である。と同時に、米国側から「不公平」「片務的」といった指摘を招く要因となっている。

 確かに、米国が結ぶ北大西洋条約(NATO条約)や米韓相互防衛条約では、加盟国は互いに防衛の義務を負う。日米安保が、こうした同盟条約の通例と異なるのは、憲法9条の下、集団的自衛権は行使できないというしばりがあるためだ。

 安倍政権は憲法解釈の強引な変更によって一部容認したが、歴代内閣は一貫して集団的自衛権の行使を認めてこなかった。それを前提に、非対称ながら、双方の役割の釣り合いを図っているのが日米安保である。

 在日米軍基地は米国の世界戦略に不可欠であり、米国の国益にもかなう。その維持のため、沖縄などで多くの住民が負担を強いられてきた。米国だけが義務を負う片務的な条約という考え方は、まったくの誤解にほかならない。

 ■なし崩しの対米協力

 冷戦が終わり、ソ連という共通の脅威がなくなると、両国は96年、アジア太平洋地域の平和と安定の礎として、日米安保の重要性を再確認した。

 その後、米国が日本に求める役割は拡大の一途をたどった。「物と人との協力」だった日米安保は、徐々に「人と人との協力」の色彩を強めていく。

 99年に成立した周辺事態法では、日本の周辺地域で、自衛隊による米軍への後方支援が可能になった。米国が同時多発テロへの報復としてアフガニスタンを攻撃すると、インド洋に海上自衛隊を派遣し、米艦に給油した。イラク戦争の際は、陸上自衛隊が「非戦闘地域」で復興支援活動を行った。

 そのつど日本国内では9条との整合性が問われたが、時の政権は対米関係を優先し、自衛隊の活動領域をなし崩しに広げてきた。安倍政権が15年に成立を強行した安全保障関連法も、この延長線上にある。

 さらに進めて、日米がともに戦う対称的な同盟にしようというのなら、9条の改正が必要になる。だがそれは、日本が採るべき選択とはいえない。

 日米安保がいま直面するのは、急速な軍事力拡大と強引な海洋進出を続ける中国である。

 そこで重要なのは、中国をことさら敵視し、緊張を高めることではない。軍事に偏重せず、日米安保と9条との両立を図りながら、地道な近隣外交のうえに地域の安定を築くことが日本の利益となるはずだ。

 そのためにも、日本が9条の下で専守防衛を堅持し、非対称であっても、米国と適切な役割分担を図っていくことには、大きな意味がある。

 ■「公共財」であるには

 米国の要求にただ対応していくことだけが、日本外交ではあるまい。日米安保を基軸としつつ、果たせる役割を考え抜き、トランプ氏が誤った方向に向かっていれば、直言して翻意を促す。そんな難しい作業が求められる時代となった。

 トランプ政権はいま、中東で船舶の航行の安全を確保するための「有志連合」への参加を日本に求めている。また、在日米軍の駐留経費について、現状の数倍にも及ぶ巨額の分担を提示してきたともいう。

 日本政府が、従来のような発想で米国を引き留めることを優先させ、誤った政策判断をくださないよう、強く求める。

 イラン核合意や温暖化防止のパリ協定からの離脱など、トランプ氏は秩序の維持に逆行し、緊張を高める振る舞いを重ねてきた。「世界の警察官」でなくなった米国が、むしろ混乱要因となっているのが現実だ。

 トランプ氏に振り回されることなく、日米安保が国際社会の「公共財」として機能するよう、主体的な外交への一歩を踏み出さねばならない。

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