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 ■「だめな自分」を受け入れること

 「がんばらない練習」などしなくても、老齢になると好奇心が失せて、心配しなくてもがんばれません。pha(ファ)というコードネームを持つ著者は、私の年齢の半分だけれど、すでに老境? 本当の老境の人は身体の機能が劣化、頭の回転能力も低下。だるい面倒臭いと、受動的で何もせず、何も決められず、人に全部決めてほしい、と思い、常に疲れていて社交のエネルギーの衰退と嘆くのは老人特有の物ぐさ。まさにphaさんそのものです。

 phaさんは未知のことが次々起こるのが怖くて、既知のものを沢山(たくさん)持ち運ぶことで身を守る。芸術理念とは逆行。つまり一度も選択を間違えたくないという完璧主義者。必然的に「何が起こるかわからない生(なま)の現実に身を投げ出すのを恐れ」るみたい。自分に欠如しているのは体験だと自覚。「頭で考えてからじゃないと反応ができない」らしく、何をすべきかが全くわからないとおっしゃる。それはphaさんの知的学識の高さが失敗を許せないのでは? アートは失敗、偶然、未完、サプライズが創造の核。と同時に死の不安を抱えているが、phaさんは「自分の人生が無限なような気がして、死を意識せずに生きてしまっている」と言う。だからというわけではないが、「何をするべきなのか全くわからない」と。同じような問題をかかえている人は多く、phaさんのようにネット依存者で風呂に入る時もスマホを手放さない。

 とはいうものの、自分のやる範囲の面白いことはやり尽くして、自分の人生は、成るようになっているので死ぬ時の後悔はないと。大抵の人は煩悩の執着の糸が断ち切れないまま死ぬんだろうけれど、その点、phaさんは欲望や野心から解放されている。そして最後に、できないことの方が他者と違う自分らしさを作り、だめな自分を認めて愛されるのが、この本で言いたかったことだと締める。

 評・横尾忠則(美術家)

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 『がんばらない練習』 pha〈著〉 幻冬舎 1296円

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 ふぁ 78年生まれ。ブロガー。シェアハウス「ギークハウスプロジェクト」発起人。『持たない幸福論』など。

 <訂正して、おわびします>

 ▼21日付読書面の「がんばらない練習」の書評で、「即知のもの」とあるのは「既知のもの」の誤りでした。原稿の確認が不十分でした。

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