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 朝日新聞の政治記者をしながら、スポーツで日本を元気にしたいと奔走した田畑政治(まさじ)。周囲をぐいぐいと引っ張っていく姿は、NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公としてにぎやかに描かれている。トークショー「水泳ニッポンを築いた男 田畑政治」(朝日新聞社主催、浜松市共催)が8月31日、東京都千代田区のイイノホールで開かれた。日本水泳連盟の青木剛(つよし)会長と、競泳五輪メダリストの中村礼子さんが、戦前戦後の水泳界の浮き沈みをたどりながら、田畑の知恵や行動力、その情熱に迫った。コーディネーターは早大水泳部出身、週刊朝日の堀井正明編集長代理。

 ■普及と強化、スポーツで社会を元気に

 トークショーでは、田畑の足跡を「戦前の黄金期」「戦後混乱期」「1964年東京五輪からの再建」に焦点を当てて紹介した。

 戦前の日本水泳は、初出場した20年アントワープ五輪の惨敗から、近代泳法を本格的に採り入れて花開く。田畑が総監督だった32年ロサンゼルス五輪では、男子6種目中5種目で金メダルを獲得した。急成長の秘密はどこにあるのか。

 背景のひとつとして、青木さんは伝統ある「日本泳法」に着目。「水の中で泳ぐ形を習得する訓練ができあがっていたので、(近代泳法という)『速く泳ぐ形』に切り替えられたのではないか。田畑さんは日本泳法の達人でもあった」

 さらに話題は、田畑の立てた、勝つための戦略にも展開した。「組織の一本化」という考えは、その後も日本水連に受け継がれ、「ベースから頂点まで、一貫して選手養成ができるシステムができあがっています」(青木さん)。

 戦前の華々しさから一転、戦後の苦しい時代。日本は48年ロンドン五輪に参加できなかった。すると田畑は、五輪開催期間にあわせ、東京の神宮プールで日本選手権を開く。大観衆が見守る中、400メートルと1500メートル自由形で古橋広之進選手が出した記録は、いずれもロンドン五輪金メダリストを上回るものだった。

 「観客も来るし、選手も気持ちが入るだろうと、勝算が、田畑さんにはあったのではないか」と青木さんはみる。ヒーロー誕生は、強烈なメッセージを国内外に放つ。「古橋さんに五輪の金メダルはありませんが、スポーツを超えた社会の英雄になった。非常に厳しい状況の中で明るい光をともしてくれた」。翌年には国際水泳連盟に復帰、全米選手権に派遣された古橋選手は、世界記録で期待にこたえ「フジヤマのトビウオ」と称された。

 田畑が招致に尽力した64年東京五輪、競泳は銅メダル1個に終わった。しかし、田畑は落ち込むどころか、復活への骨折りを惜しまない。強化には屋内プールが必要と、東京スイミングセンター(東京SC)の設立を働きかけた。その東京SCから出たメダリストが北島康介さんであり、登壇した中村礼子さんだ。

 中村さんはアテネ五輪前年に、北島選手を指導する平井伯昌(のりまさ)コーチに教えを請い、東京SCでの練習に加わった。「平井コーチの、メダリストを出すという気持ちを常に感じていた」と当時の空気感を紹介。「いだてん」の田畑が世界を狙う熱い姿は平井コーチに似ていて「私には一緒にしか見えない」と中村さん。田畑の思いは脈々と引き継がれているのかもしれない。

 五輪は来年、56年ぶりの東京開催となる。中村さんは「田畑さんの思いと一緒に日本チームを応援したい」とエール。青木さんは水連会長として「センターポールに日の丸を揚げること」に加え、泳げる人を増やし水難事故を減らしたいとも。「強化と普及は別物ではない。泳ぐ人を増やし頂点につなげていく。これを促進できる東京五輪にしたい」と締めくくった。

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 日本水泳連盟会長・青木剛さん 早大卒業後、東京SCで選手指導にあたる。日本水連競泳委員長などを歴任し、アテネ五輪はチームリーダーとして日本勢の活躍を支えた。15年から現職。

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 競泳五輪メダリスト・中村礼子さん 200メートル背泳ぎでアテネ、北京両五輪銅メダルを獲得、競泳日本女子では前畑秀子以来72年ぶりの2大会連続メダリストに。現在は東京SCに所属し講演などをしている。

 <田畑政治(たばた・まさじ)> 1898年浜松市生まれ。浜松中学(現・浜松北高校)に進学し水泳に没頭するが、体を壊し指導者の道へ。第一高等学校、東京帝国大学と進み、休日には浜松に戻って後輩を指導したという。

 1924年東京朝日新聞社入社、政治記者として犬養毅らの政友会を主に担当した。その傍ら、水泳指導の中心役としても活動し32年ロサンゼルス五輪水泳総監督、36年ベルリン五輪は本部役員として「水泳ニッポン」を支えた。48年日本水泳連盟会長。翌年には古橋広之進、橋爪四郎両選手らを全米選手権に派遣し圧倒的な強さをみせつけた。

 49年~51年朝日新聞社常務取締役。52年取締役を辞任し退社。同年ヘルシンキ、56年メルボルン両五輪日本選手団団長。59年、東京五輪開催(64年)が決定し組織委員会事務総長となるが、62年アジア大会への参加問題で辞任。73年JOC委員長。84年、85歳で死去。 

 ■田畑は早口?

 「いだてん」で阿部サダヲさん演じる田畑は、せっかちで行動派。実際はどうだったのか。大学卒業後に東京SCで一緒だった青木さんは「とにかく早口でした。私が(話の)半分くらいしかわからなくて、先輩にお叱りを受けたこともあった」と苦笑い。「まあちゃん」の愛称も残っていて、田畑の話をする際に「まあちゃんが」と切り出す先輩もいたという。田畑は当時70歳を過ぎていたが、エネルギッシュで「現場の我々の指導をよくバックアップいただいた」と懐かしんだ。

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