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 スマートフォンなどに使われる「リチウムイオン電池」の基本技術を開発し、ノーベル化学賞の受賞が決まった吉野彰さん(71)。「やわらかさと執着心」を信条に、地道に研究を重ね、環境への貢献につながった。届いた吉報に、多くの関係者が喜び、その偉業をたたえた。▼1面参照

 「私自身、興奮しています」

 9日午後7時20分過ぎ。吉野さんが研究に打ち込んだ旭化成の東京本社(東京都千代田区)で始まった記者会見で、縦じまのスーツに緑のネクタイ姿の吉野さんは、満面の笑みで切り出した。

 「(リチウムイオン電池が)受賞対象になったのはうれしく思う。若い研究者に大きな励みになるのかなと思っている」と言葉を継いだ。

 受賞の連絡は、研究室の固定電話にあったという。先方からの第一声は「コングラッチュレーション!」。「来たかな、と思いました」。すぐに妻の久美子さん(71)に電話で報告したという。「腰を抜かすほど驚いていました」と笑いを誘った。

 研究者に必要な姿勢について問われると、「頭のやわらかさと、その真逆の執着心。しつこく最後まであきらめない」とした。そのうえで「剛と柔のバランスをどうとるか。大きな壁にぶちあたったときも、『なんとかなるわ』というやわらかさが必要」と話した。

 リチウムイオン電池は、スマホや電気自動車などに広く使われ、吉野さんは以前からノーベル化学賞の有力候補とされてきた。「フィールドが広く、デバイス系の順番がなかなかまわってこない。もし順番がきたら絶対とりますよ、と申していました」と笑った。

 環境への貢献については、「(電気自動車などが普及していくことで)巨大な『蓄電システム』ができあがる。太陽電池、風力発電など変動の激しい技術が普及しやすくなる」と語った。

 リチウムイオン電池が広く使われている携帯電話について聞かれると、「私自身は携帯電話を持つのに拒否感があった」。従来式の携帯電話(ガラケー)は持ったことがなく、「私が今のスマホを買ったのは5年前。いきなりスマホです。ガラケーは使ったことがない」と明かすと、会場は再び笑いに包まれた。

 発表の瞬間は、旭化成の大勢の社員らが見守った。

 午後6時半ごろから100人ほどが、プロジェクターに映された王立科学アカデミーの発表を待った。

 6時45分過ぎ、共同受賞者のジョン・グッドイナフさん(97)の名が発表されると、吉野さんの受賞を確信したのか、「オー!」という歓声が上がった。

 「アキラ・ヨシノ」。続いて吉野さんの名前が読み上げられると、会場は万雷の拍手に包まれ、社員たちは握手を交わしたり、跳びはねたりした。

 ■妻久美子さん「うれしいのひと言」

 吉野彰さんの妻、久美子さん(71)は9日夜、神奈川県藤沢市内の自宅に詰めかけた報道陣に「うれしいです。そのひと言です」と笑顔で語った。

 久美子さんのスマートフォンに彰さんから電話が入ったのは、9日午後6時20分ごろ。「バタバタしている」と言って周辺が騒がしかったといい、「決まったの?」と尋ねると、はっきりと答えなかったという。察して「おめでとう」とお祝いを言い、次女(35)と抱き合った。

 「普通のサラリーマンの妻」で、「『研究者の妻』という感覚でいたことはない」という久美子さん。彰さんは自宅では研究や仕事に関することは一切言わず、「外と家の中とのギャップがありすぎる。言っていいのか迷うが、家では寝ていることが多く、ゴロゴロしている」。

 彰さんは30代半ばの頃は夜遅くまで仕事をし、休日も研究に打ち込んだ。電池のサンプルや充電器などを自宅の茶の間にポンと置いていたことから、久美子さんも電池の研究をしていることは知っていたという。

 彰さんは特に日本酒が好きで、近くに住む次女の夫(42)と自宅で酌み交わす。自宅近くの公園で時折テニスをし、ゴルフも好きだという。(秦忠弘)

 ■研究者から祝福続々

 吉野彰さんの研究を見つめてきた国内の関係者も受賞の知らせを喜んだ。

 大阪大名誉教授で島根県産業技術センター特別顧問の吉野勝美さん(77)は2005年、リチウムイオン電池に関する吉野さんの博士論文を審査した。

 「素晴らしい内容だった。これはきっとノーベル賞につながるなと思っていた。『自分が生きている間にとってくれたらなぁ』と思っていたので本当にうれしい」と喜んだ。

 日産自動車で電気自動車「リーフ」の基本設計に携わった慶応大特任教授の堀江英明さん(62)は「毎年、今年こそはと心待ちにしていた受賞だ。1991年、社内で電気自動車の開発を提案した。吉野さんには25年以上にわたって指導いただいた」。

 吉野さんの開発チームに82年から加わった実近(さねちか)健一・科学技術振興機構技術参事(64)は「当時、社内での開発の位置づけは低く、チームは吉野さんを入れて6人、途中からは4人で続けた。基礎的な科学から世の中に役立つものをつくった成功例だと思う」と振り返った。

 ■1冊の本、化学に出会う/大学で考古学に夢中

 吉野さんが育ったのは大阪府吹田市。今は万博記念公園や宅地が整備されているが、戦後ほどない幼少期は、竹やぶだらけだった。よくトンボをとって遊んだという。化学に興味を持ったのは、小学生の時だった。

 4年生のとき新任の女性の先生が担任になった。学生時代に化学を専攻していたという先生が1冊の本を薦めてくれた。英国の科学者ファラデーの「ロウソクの科学」だった。

 「ロウソクはなぜ燃えるのか、炎はなぜ黄色いのかといった内容で、子ども心に化学はおもしろそうだなと思った」。9日の会見で、吉野さんは語った。

 「好きこそものの上手なれ、ではないが、子どもが関心を持つとどんどん得意になるんです」。身の回りの素材で「実験」に熱が入った。トイレの洗浄用に置いてある塩酸を、近くで拾った鉄の塊にかけてはボコボコと出る泡を見て、面白がったという。

 好きが高じて、化学が得意科目になった。入学した京都大では、当時、花形だった石油化学を専攻した。

 ただ、最初の2年間に打ち込んだのは考古学だった。教養課程はできるだけ専門以外の知識を身につけよう。そんな風土のなか「石油化学が最先端なら、一番古い歴史、考古学をやってみよう」と考えた。

 研究会に入って京都や奈良の発掘現場に毎日通った。今は史跡公園になっている京都府の樫原(かたぎはら)廃寺の発掘にも携わったという。

 全く異なる分野だが「考古学の研究は、化学とよく似たところがある」という。たとえば文字がない時代、頼りになるのは出土した土器などの物的証拠。言葉の解釈ができない分、物証を積み重ねていくしかない。「事実に対して非常に謙虚。どちらかというと、実験科学なんです。いかに新しいデータを世界に先駆けて提示できるか。そこが共通しています」と吉野さん。「考古学をかじったことが、後々の研究開発に非常に役立ちました」

 <訂正して、おわびします>

 ▼10日付社会面の、ノーベル化学賞に決まった吉野彰さんの学生時代などを紹介した記事につく写真の説明で、「考古学同好会」とあるのは「考古学研究会」の誤りでした。記事にある「同好会」は「研究会」でした。

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