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 秋の例大祭が行われている靖国神社に、先月の内閣改造で初入閣した沖縄北方相の衛藤晟一氏と、総務相に再任された高市早苗氏が相次ぎ参拝した。閣僚が春と秋の例大祭や8月15日の終戦の日に靖国を参拝するのは、2017年4月の高市氏以来、2年半ぶりとなる。

 衛藤氏は記者会見で「国の命令でお亡くなりになった方々の慰霊を申し上げた」と述べたが、閣僚による参拝は、遺族や一般の人々が手を合わせるのとは意味合いが異なる。

 戦前の日本の対外戦争の戦死者らを祭神とする靖国神社は、軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設だった。

 戦後は一宗教法人となったが、現在の政治指導者が参拝すれば、日本が過去の過ちを忘れ、戦前の歴史を正当化しようとしていると受け止められてもおかしくない。中国、韓国両政府が「遺憾」「抗議」を表明したのもそのためだ。

 靖国神社には、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯14人も合祀(ごうし)されている。サンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、国際社会に復帰した日本の歩みを否定することにもつながりかねない。

 安倍首相は第1次政権で靖国参拝をしなかったことを「痛恨の極み」と語り、13年末の首相復帰1年の日に参拝を行った。現職の首相としては、2006年の終戦の日の小泉首相以来7年ぶりのことだった。

 しかし、その後は一貫して参拝を控え、春秋の例大祭は真榊(まさかき)の奉納にとどめている。であるなら、閣僚に対しても、自重を促すべきではなかったか。衛藤、高市両氏は首相の側近として知られ、これまでも靖国参拝を繰り返してきた。両氏の行動は首相の思いの体現とみられても仕方あるまい。

 日韓関係は戦後最悪と言われ、両国の政治家が打開へ向けて知恵を絞ることが求められている。日中関係も来春の習近平(シーチンピン)国家主席の国賓としての来日を控えた大事な時期である。近隣外交の火種をつくるような振る舞いは賢明とはいえない。

 首相や閣僚による靖国参拝は、憲法が定める政教分離の原則からみても疑義がある。衛藤、高市両氏とも「私人として」というが、閣僚という立場で公私は分かちがたい。

 小泉政権時代の02年、当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が「国立の無宗教の戦没者追悼施設が必要だ」との報告書をまとめたことがあるが、具体的な進展はなかった。誰もがわだかまりなく追悼できる新たな施設の検討こそ、政治家の役割ではないか。

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