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 芸能人が政権を批判すると「仕事を干される覚悟」となる日本。堂々と政治に物申すハリウッド俳優を引き合いに出してうらやむ人も多いが、表現の自由を掲げる米国も60~70年前は、干されるどころか刑務所行きだった。冷戦下の「赤狩り」で多用された「非米(Un-American)」という言葉が再び飛び交うトランプ時代、俳優として追放の憂き目に遭った102歳のマーシャ・ハントさんに当時を振り返ってもらった。

 第2次大戦後、米国の資本主義陣営と旧ソ連の共産陣営との冷戦が勃発すると、共産主義者とみられた人たちが米国で次々と糾弾された。「赤狩り」だ。

 ハリウッドは、映画を通じた左派思想の浸透を恐れた当局の標的に。1947年、脚本家や監督10人「ハリウッド・テン」が下院非米活動調査委員会に召喚された。共産党員かどうか聞かれた10人は憲法修正1条の表現や思想・信条の自由を盾に証言を拒み、議会侮辱罪で有罪となった。

 彼らを支援し抗議するため「カサブランカ」(42年)などで知られる俳優ハンフリー・ボガートや、ローレン・バコール、ダニー・ケイ、ジェーン・ワイアットらがワシントンへ向かった。ハントさんもその1人だった。「米国旗に敬意を表す愛国者として、信念をもって抗議に行きました。正しい側に立ち、自分の信じるものを信じ、権利を守ろうとしたんです」

 「高慢と偏見」(40年)などに出演、44年には映画関係者が選ぶ「明日のスター」にランク入りし、米誌ライフの表紙も飾ったハントさんは当時、米映画俳優組合の役員でもあった。

 役員就任まもない45年には舞台装置制作者らのワーナー・ブラザーズ前でのストにも足を運んだ。「早起きをして見に行きました。するとスタジオの屋根から岩のような重いものが落とされ、ストの人たちが蹴散らされたんです」と弾圧の様子を振り返る。

 10人が刑務所に収監された50年、ハントさんら映画・音楽界の約150人をあげつらった反共冊子「レッド・チャンネルズ」が出回り、テレビ番組の仕事が突如消えた。「共産主義のことは何も知らない、と3大ネットワークに書き送りましたが、だめでした」

 コロンビア・ピクチャーズの「The Happy Time(原題)」(52年)に出演が決まると、スタジオ側から電話で「活動を後悔している声明文に署名せよ。さもなくば映画に金輪際出られない」と迫られた。「『署名は自分の考えに反している』と拒みました」

 降板は何とか避けられたが、映画出演はその後ぐっと減った。一方、ボガートはその後、抗議の旅は「軽率だった。ばかですらあった」と後悔を表明、映画界で活躍し続けた。対照的だ。

 「アカとみなされた人たちをとにかく雇うなという状況でした。反体制は政府を弱体化させ、おとしめることだとされたんです。違う考え方があるだけで、敵・味方の話ではないのに」

 ハントさんは国連の活動に参加して親善大使にもなったが、そこでも危険と隣り合わせだった。ロサンゼルスで62年、国連への極右の脅威を語る討論会に出た最中、一緒に登壇した2人の自宅が爆破された。

 トランプ時代の今、「非米(Un-American)」という言葉が再び飛び交っている。「他者を見下し、誰かを危険視することに魅了される人たちがいるから、こうした言葉が出るのだと思います。人はそれに乗っかるわけです。同じことを繰り返してはいけません。社会がまた破壊的になります」

 ハントさんは次世代に向けてこう語った。「信じるに足る答えを得るようにしてほしい。誰もが持つ権利です。納得いく答えが得られなくても、さらに疑問を投げ続けることです」

 (ロサンゼルス=藤えりか)

 <訂正して、おわびします>

 ▼15日付文化・文芸面「『赤狩り』生きた元俳優 102歳の警鐘」の記事で、写真説明に「後列に人気俳優ハンフリー・ボガートの姿もある」とあるのは、「前列に人気俳優ハンフリー・ボガートの姿もある」の誤りでした。AP通信の写真説明を読み間違えました。

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