[PR]

 無理が通れば道理が引っ込むという。道理ある政治を手にするには、理屈にあわぬ政権の説明は見過ごせない。

 「桜を見る会」をめぐる安倍政権の弁明は詭弁(きべん)に満ちている。その最たるものが、「反社会的勢力」の定義をめぐるやりとりであろう。

 この会に反社会的勢力とみられる人物が参加し、要人と撮影した記念写真まで流布している。対象は功績・功労があった人という趣旨に反しており、事実なら、なぜ招かれたのかを究明するのは当然だ。

 しかし、政府は招待者名簿を廃棄済みで確認できないというのみならず、野党議員の質問主意書に対し、反社会的勢力を「あらかじめ限定的、かつ、統一的に定義することは困難」との答弁書を閣議決定した。

 政府が07年にまとめた「指針」には、反社会的勢力は「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団または個人」とある。今回の決定は、指針に従って関係遮断に取り組む企業に対し、はしごをはずすような行為ではないのか。

 菅官房長官は記者会見で、犯罪が多様化しており、定義で固めると、かえって取り締まりを難しくすると補足したが、反社会的勢力が招かれていたことを認めたくないがためのつじつま合わせにしか聞こえない。

 「行政文書」の定義についての説明も納得できない。

 紙の招待者名簿は野党議員が資料要求した直後にシュレッダーにかけられ、電子データも前後して削除された。しかし、バックアップデータは最長8週間、保存される仕組みだった。

 データの復元が可能だったにもかかわらず、そうしなかった理由として、菅氏は「バックアップデータは行政文書ではない」と言い切った。行政機関の職員が組織的に利用できない状態なので、公文書管理法が定める定義に当たらないというが、それでは何のためのバックアップなのか。廃棄を正当化するために、手前勝手に定義を狭めているというほかない。

 安倍首相の妻の昭恵氏による招待者推薦に関連して、首相夫人が「私人」であるという見解も維持された。首相の外国訪問に同行し、政府職員がサポート役につく夫人に公的な性格があることは明らかだ。もとをただせば、森友問題で昭恵氏の関与が取りざたされた時に「私人」との答弁書が閣議決定された。昭恵氏を疑惑から切り離し、説明責任を回避することが優先されたのではないか。

 当座の責任逃れのために、ご都合主義で言葉の定義をゆがめる。その先にあるのは政治不信だけだと、首相は知るべきだ。