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 ■法政大×朝日新聞

 多様性を認め合い、共存できるグローバル化について議論するため、法政大学は朝日新聞社と朝日教育会議を共催した。私たちは、多様性にどう向き合えばいいのか。スポーツで世界とつながる為末大さんは「自分を知る」ことの大切さを語り、貧困問題に取り組む湯浅誠さんは「配慮」をキーワードに挙げた。【東京都千代田区の法政大学で11月30日開催】

 ■基調講演 「実践知」通しすべきこと熟考 法政大学総長・田中優子さん

 私たちは、ダイバーシティー(多様性)のあるグローバル化を目指さなければなりません。技術と情報とデータを共有し、研究が流動化し、学びが広がる。そして、公平や平等を実現し、多民族が共存する。そのようなグローバル化です。

 グローバル化は歴史的に見て三つに整理できます。一つは「支配・権力型」。植民地化やグローバル企業による画一化です。それから「共存型」。一つの国や地球上で様々な民族が一緒に暮らしている状況です。三つ目が「流通・流動型」。技術や情報を共有化し、研究者や留学生が行き来するようになることです。

 グローバル化には、良い面もあれば、困った面もあります。「共存型」の場合、一つの国に共存する多民族間に経済格差や差別が生まれる。「流通・流動型」も、巨大なグローバル企業が世界を席巻し、土地に根ざした文化から価値を奪ってしまう。つまり、いずれも現実には「支配・権力型」になってしまっているわけです。

 それでは、江戸時代はどうだったのか。

 大航海時代が始まり、世界経済は激しく動き、植民地化が起こりました。日本も植民する側に立とうとしました。それが、中国の植民地化を目的にした豊臣秀吉の朝鮮半島侵攻とその敗戦です。大量の銃が使われた結果、経済的に疲弊しました。

 そこから脱却するため、方針転換したのが江戸時代です。参勤交代制度を作って内戦状態から抜け出し、国産品を増やして産業振興を図りました。外国人たちも来ました。例えば、オランダ東インド会社の社員たちです。日本はこうした人々から書籍や情報、物を購入し、レンズやガラスや時計を国産化し、独自の博物学や医学を発達させました。自給率を保ち、独自の技術を発展させるという流通・流動型のグローバル化を達成できたのです。

 それでは、今の日本はどうでしょうか。多様性をもった共存型のグローバル化を実現し、イノベーションを起こしているとは言えません。課題は多いですが、あまりに遠い目標を設定しては解決できません。法政大学憲章は「自由を生き抜く実践知」をうたっています。自分が今いる現場で実践を重ねながら、必要な知識を獲得しつつ、すべきことを熟考し実現する。そんな「実践知」が必要だと考えています。

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 たなか・ゆうこ 1952年生まれ。江戸文化研究者。法政大学文学部卒業。同大学社会学部教授や学部長をへて、2014年から現職。「江戸百夢」「布のちから」など著書多数。

 ■プレゼンテーション 自分自身をよく知り「らしさ」大切に 元陸上選手・為末大さん

 多様性と寄せ集めの境目は、微妙なところがあります。ラグビー・ワールドカップ日本代表は非常に分かりやすい例です。様々な国籍や背景を持った人たちが一つのチームとして戦えたのは、ビジョンが一致していたからだと思います。

 裏を返せば、大事にする揺るぎない何かが共有されていなければ、同じ場所に多様な人々を入れたところで分解してしまう。多様性を大事にすることと、我々が何を目指すのかということは、表裏一体です。

 例えば、日本では175センチの陸上選手は背が高い方ですが、オランダの高校生の中に入ると低い。私たちは何かと比べて自分を説明しています。多様性が広がると、「自分は何者なのか」と不安になるかもしれません。そこで大事なのは、排他的ではなく寛容さを持ちながらも、自分らしさを大事にすることです。

 スポーツの世界も、その自分らしさを大切にしています。私は陸上100メートルで中学生の日本一になりましたが、高校に進むと伸びなくなりました。走る速さは脚の回転と歩幅で決まりますが、どうしても回転が足りなかった。しかし、400メートルハードルに移ると、回転がでなくても歩幅のある私の走り方が、長所になりました。

 つまり、特徴は行く場所によって短所か長所かが決まります。選手がどの場所で戦うかを考えるには、自分をよく知らなければいけない。多様性のある場所に身を置いてみると、自分自身のことや、自分が何をやっていくべきかという理解が随分違うと思います。

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 ためすえ・だい 1978年生まれ、法政大学卒業。世界選手権の陸上400メートルハードルで銅メダルを2度獲得。スポーツとテクノロジーの事業を進める「Deportare Partners」代表。

 ■プレゼンテーション 配慮し合い「ちょうどいい所」探そう 社会活動家・湯浅誠さん

 多様性には光と影があり、私は安易な礼賛は危険だと考えています。

 一人ひとりはパズルのピースのようなもので、凸と凹がある。そのことを認め合うことは良いことです。ただし、真四角ではないので、左右を入れ替えたら、もうハマりません。多様性を認め合っている状態というのは、実はつながりにくい。放っておくと分断と細分化を招きます。実際に世界や日本社会では、そういうことが起きています。

 それを象徴する要素が三つあると思っています。みんな違っていいけれど、「付き合えない」という「敬遠」、「そっとしておこう」という「遠慮」、そして主にネットの世界で見られる「攻撃」です。

 こうしたことを克服するには、「インクルージョン」が大事だと思います。日本語に訳しにくい言葉ですが、私は「配慮」という言葉を当てています。

 兄には障害がありました。子どものとき、車いすの兄も入って友達と草野球をしたのですが、兄が打者のときは投手が3歩前で、下手でボールを投げるというルールに行き着きました。5歩前でも、上手投げでも駄目なんです。みんなで「ちょうどいい所」を探す。そこにあったのは、配慮です。

 インクルージョンとは、多様な人たちとつながろうという意思を持ち、そのつながり方を積み重ねていくことです。対話し、配慮し合う体験と芽は誰にでもあります。これからの時代、その芽を育てて広げていくことが、私たちが取り組むべき課題だと思います。

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 ゆあさ・まこと 1969年生まれ。90年代よりホームレス支援に従事。法政大学教授をへて、東京大学特任教授。「全国こども食堂支援センター・むすびえ」理事長も務める。

 ■パネルディスカッション

 3人が改めて登壇し、多様性とグローバル化について意見を交わした。(進行は一色清・朝日新聞社教育コーディネーター)

 ――ラグビー・ワールドカップ日本代表は、様々な国籍の選手たちが集まったチームでしたが、日本国内から批判的な意見は特に出ませんでした。日本は多様性に寛容なのでしょうか。

 湯浅 彼らをテレビやメディアを通じて見ている分には「みんな違ってみんないい」でいけるんですね。例えば、外国籍の人がコンビニのレジの向こうにいる分には「違っていい」と言えるけど、自分の家の隣に引っ越してきたらどうでしょう。離れられない場所でこそ、配慮し合うインクルーシブ・ダイバーシティーが試されます。

 田中 私は母を在宅介護しています。1対1で話すとケンカになりますが、ケアマネジャーや訪問医らを交えると相対化される。母の弱さを第三者を通して耳にすると、違って聞こえるわけです。複数の人で話し、配慮を作っていく仕組みは案外大事かも知れません。

 湯浅 1年は約3千万秒です。20歳なら6億秒生きていることになります。それぞれが違う6億秒を積み重ねてきたのだから、オンリーワンでないわけがない。だからオンリーワンは目指すものではなく、存在の条件だと考えています。

 為末 誰にでも複数のアイデンティティーがあり、どれが強く出るかによって、振る舞いや限界値が変わるのではないか。そんな気がしています。「均一」ということに警戒感を持ち、「自分は唯一無二」と頭のどこかに置いておく。それだけで十分に個性的な自分になれるし、相手にもそう見えるのだと思います。自分の中の複数のアイデンティティーを意識することは大事だと、選手のときから感じていました。

 田中 人間には複数の才能があり、どの才能を持ち出すかによって発揮できるかどうかが変わってくる。江戸の武士も同じです。自分は武士だと考えていると、その中にある作家としての才能は発揮されません。ところが、作家の集まりの中で「お前すごいね」とやり合っていると、文学の才能が突然発揮される。そういう人たちが江戸時代の文化を作ってきたんですね。人との対話やまなざしがあって発揮されるのだと思います。

 湯浅 様々な才能を受け入れるには、良いか悪いかの価値判断を伴わない場が必要です。「それって面白いね」「あなたはあなたのままでいい」と本気で思ってくれる場所です。私が関わっている子ども食堂も、その一つ。そういう場所が増えることは、世の中の発展やイノベーションのためにも必要だと思います。

 為末 息子のお弁当は僕が作っていますが、お弁当箱の形は大体決まっています。すると、そこに入るおかずを買いに行くようになるんですね。今の社会って、あるべき形がすでにあって、「あなたはこのおかずになれますか。なれなければ評価できません」という構図になっている。おかずの形から、あるべきお弁当箱の形を考え直さなきゃいけない気がしています。

 ――グローバル化には光と影があるという話が出ましたが、格差の小さな社会と多様性のある社会の両立は難しいのでしょうか。

 湯浅 流動性が鍵だと思っています。田中総長の講演にもありましたが、多様であれば流動性は高まります。しかし、実際は格差の全面展開といって、所得や教育、文化などの格差が全部連動してしまっている。格差が固定化し、お互いに関われる場がないと、すみ分け型になってしまう。だから、多様な人たちとつながる意思や工夫を積み重ねる必要があります。

 為末 固定化をかき混ぜ、関われるシステムはどうすれば作れますか。

 湯浅 例えば、東日本大震災の「足湯ボランティア」があります。仮設住宅を回って、皆さんに足湯を提供するボランティア団体があるんです。1回15分。その間に雑談し、「最近どうですか」と尋ねる。すると、いろいろ言ってくれるんですね。彼らはそれを「つぶやき拾い」と言っています。声なき声を拾う場を作り、見えてきた課題を行政に伝える。そういう仕掛けを作ったわけです。

 田中 私はつい、「場を作らなきゃ」と大げさに考えてしまいますが、そうではないんですね。例えば、学校を作るのは難しいけれど、子ども食堂を作るという手がある。遠い理想に向かって自分ができることを考えることは、まさに「実践知」だと思います。

 湯浅 配慮し合う芽は、誰にでもあります。一緒に歩く相手がゆっくりなら、自分もゆっくり歩きますよね。障害者差別解消法ができ、「障害者には合理的配慮をしましょう」とうたわれています。そう言われると、「障害者の人たちには配慮しなきゃいけない」「健常者だったら配慮しなくていい」となってしまいがちです。相手は障害者かもしれないし、高齢者かもしれないし、外国籍かもしれない。誰であっても、歩くペースを合わせますよね。まさに、ここに芽があるんです。こうしたことを社会が積み重ねていくこと自体が、グローバル化なのだと思います。

 ■「排除」なくすために 会議を終えて

 世界の潮流は「排除」の方向へ向かっている。分断や細分化が進むなか、湯浅誠さんはインクルージョンに「配慮」という言葉を当て、「多様な人たちが出会える場」を作る意思と工夫が必要だと指摘した。

 排除と配慮。どちらに向かって行動するか、一人ひとりに問われていると、田中優子さんは言う。そして、「もし国家がなく、この人が何人だということを思わなければどう付きあえるか、という発想が大事」だと語った。

 為末大さんは、アジアの選手たちを日本に招いている。スポーツでつながることが「何かの貢献」になると考えるからだ。「日本は残念ながらビジョンがない国。ある種の空白地帯だからこそ、排除をなくすために果たせる貢献があるんじゃないか」と話した。

 今回のパネルディスカッションは、登壇者たちによる入念な打ち合わせがなかった。しかし、3人は実に多くの引き出しを持っていて、議論は盛り上がった。日頃から多様性やグローバル化について考え、行動しているからこそだと、強く感じた。(一色清)

 <法政大学> 法律の専門教育を目的に1880年、東京・駿河台に開設された「東京法学社」が起源。1920年、法政大学となり、法学部と経済学部を置いた。現在、15学部に約2万8800人(学部生)が東京・市ケ谷、多摩、小金井キャンパスで学ぶ。数々の研究機関を併設。昨年1月に「江戸東京研究センター」を新設した。

 ■朝日教育会議

 14の大学・法人と朝日新聞社が協力し、様々な社会的課題について考える連続フォーラムです。「教育の力で未来を切りひらく」をテーマに、来場者や読者と課題を共有し、解決策を模索します。これまでに開催したフォーラムの講演者や記事については、特設サイト(http://manabu.asahi.com/aef2019/別ウインドウで開きます)をご覧下さい。

 共催の大学・法人は次の通りです。

 神田外語大学、京都女子大学、共立女子大学、慶応義塾大学、公立大学法人大阪、成蹊大学、拓殖大学、千葉工業大学、東京工芸大学、東北医科薬科大学、東洋英和女学院大学、法政大学、明治大学、早稲田大学(50音順)

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