(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)しみついた「新聞脳」を溶かす 山之上玲子
朝日新聞の編集局でおもしろい社内勉強会があった。初回の看板は「新聞脳の溶かし方」。そんな話を聞いて内容を知りたくなりました。
新聞づくりには長い歴史のなかで培われた流儀やルールがあります。記事はこう書くもの。紙面編集のポイントはここ。どれも先人の知恵の集積ですが、それらは読む人のためになっていると言い切れるのか。頭を柔らかくしてゼロから見直そうという勉強会です。取材や編集現場をまとめるデスクを中心に、すでに300人ほどが参加しました。
新聞脳はいろいろなところにひそんでいます。
たとえば1面トップに政治や経済、国際などの硬い記事が載ると「すわりがいい」と思う感覚。
「新しいことがニュースだ」という常識。でも、ものさしは鮮度だけではないはずです。
短い文章に多くの情報を盛り込もうとする記者の習性。限られた紙面に収めるためですが、読みやすさは犠牲になります。
先日、20代の会社員の方からご意見が届きました。
「記事の内容が頭に入ってこないことが多々ある。難しい用語と格闘してまで新聞を解読するメリットは何かと考えてしまう」
読み手に努力や我慢を強いるような新聞を、作り手はどうやって変えていけばいいでしょうか。
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勉強会で講師を務めたのは経済部の野沢哲也部長代理です。取り組みの言い出しっぺの一人です。
紙の新聞は、その日に起きたニュースをひと通りあつめ、決められたページの中に載せていくパッケージ型の媒体です。
でも、デジタル記事は一本ずつばらばらに配信します。読み手の反応が閲読者数などのデータで目に見えるようになりました。その数字をにらみながら、記事の見せ方、伝え方の成功例、失敗例を積み重ねた結果が勉強会のもとになっています。
はじまりは4年前。公立中学校の制服価格に大きな地域格差があるという実態をSNSなどで掘り起こし、独自に報道したときの担当デスクが野沢さんでした。
掲載前、社内の反応はいま一つでした。「全国を網羅した調査ではない」という声もありました。ところが報道されると反響は驚くほどでした。編集局のニュース感覚は世間とずれているのではないか。これでは時代から取り残されてしまう。危機感を抱いたことが、「伝え方」の試行錯誤につながっています。
勉強会で印象に残る議論がありました。「大事なニュースなのに読まれない」という記者の悩みをどう考えるか。
野沢さんが語ります。
「読まれない記事にはわけがある。大事だと思うなら、読まれない理由を分析し、付加価値をのせて届ける努力をすべきです」
「政府は」「日銀は」と書き出す記事はなかなか読んでもらえない。思い切って記者を主語に書けないものか。「硬いテーマだからしかたない」と諦めるのは思考停止です。
そしてもう一つの助言がこれです。「そもそも、その話は本当に大事なニュースでしょうか。いったん立ち止まって考えることも大切」
反論するデスクがいました。
「みんなが読みたがる記事だけでいいのか。数字にとらわれすぎるとジャーナリズムから離れてしまう」
「デジタルで読む人と、紙の新聞の読者層は違う。今の議論は紙の読者を置き去りにしていないか」
たとえて言えば、今はこんな状態かもしれません。
幕の内弁当を並べていた総菜店が、サケや卵焼きを単品でも売るようになりました。一品ごとに売れ行きの明暗がはっきり分かれます。多くの人に喜ばれる総菜は何? みんなが知恵をしぼる一方で、厨房(ちゅうぼう)から待ったがかかります。「売れる味ならジャンクフードでもいいのか。栄養価も考えるのがプロの仕事」
だからこそ何が読者のためになるのか、そこを第一に考える。紙の新聞にとどまらず、デジタルの海でさらに新しい表現を探していく。味と栄養、その両方を考え抜いて、「食べて良かった」「読んで得した」を提供するのは、作り手であるメディアの責任です。
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30年を超す記者生活の中で、私にも新聞脳はしみこんでいるはずです。でも「読者の目線」にこだわるパブリックエディターとしては、長年のスタイルに安住するわけにはいきません。
野沢理論がすべて正しいとは限らないでしょう。勉強会で異論が出たのもいいことだと思います。ネットに押されがちな時代に、ベテランや中堅が悩んだりもがいたりしながら本音で意見を交わす。その先にどんな発想を広げていけるのか。
読者のみなさんからいただく声も新聞脳を溶かします。
大切なのはこれから。勉強会はゴールではなく始まりなのです。
◆やまのうえ・れいこ 1985年朝日新聞入社。東京社会部などを経て、社員の立場でパブリックエディターを務める。
◆パブリックエディター:読者から寄せられる声をもとに、本社編集部門に意見や要望を伝える
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