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 世界中を驚かせた「ゲノム編集ベビー誕生」の発表から1年余。中国の裁判所は昨年末、研究者に懲役3年と罰金刑を科したが、根源的な解決は遠く、問題はくすぶり続ける。

 ねらった遺伝子をピンポイントで書き換えるのがゲノム編集だ。農水産物の品種改良などに使われるが、対象がヒトの受精卵となると話は違う。

 生まれる子に健康被害が出たり、思わぬ影響が子孫に受け継がれたりする恐れは拭えず、世界保健機関(WHO)の専門家会議は「現時点で臨床応用は無責任」との見解を示している。厚生労働省の委員会も、禁止のため法規制を含む措置をとるべきだとする報告をまとめた。

 それでも、受精卵の段階で遺伝子の異常を修復する基礎研究は世界各地で行われ、欧米の学術団体が条件を満たせば応用も容認されうると表明するなど、予断を許さぬ状況が続く。

 そんななか、立ち位置がなかなか定まらないのが日本の現実だ。生命とは何か。技術の進歩にどう向き合うべきか。社会全体で考えなければならない課題が、山積している。

 ■なし崩しの危うさ

 1978年、世界初の体外受精児が誕生した。倫理に反するとの批判や疑問が巻き起こったが、やがて広く受け入れられ、今や日本では子どもの16人に1人がこの方法で生まれる。

 90年代には、体外受精した受精卵から細胞の一部を取り出して遺伝子の状態を調べ、問題ないものを子宮に移植する「着床前診断」が可能となった。

 病気や障害のある人への差別につながりかねないため、日本では重篤な遺伝性の病気を対象に診断を認めてきた。その範囲を広げるかどうか、日本産科婦人科学会で先月末から議論が始まった。失明の恐れはあるが、命に関わるとまでは言えない目のがんについて、申請があったのを受けた動きだ。

 科学の進歩で病気の原因となる遺伝子の異常が次々と判明している。一方で、何を「重篤」ととらえるかは、立場や価値観、社会状況によって異なる。現行ルールはおよそ20年前につくられたものがベースになっているため、再検討する。

 妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」をめぐっても、状況は揺れる。学会の指針で、3種類の異常についてのみ、カウンセリング態勢を整えた施設での実施が認められてきた。だが、これに従わない認可外施設が横行し、対処が求められている。

 受精卵のゲノム編集、着床前診断、新型出生前診断――。問われているのは、生まれてくる命に対し、遺伝子レベルでの介入をどこまで認めてよいかということだ。最初は限定的でも、なし崩しに広がってしまう「滑りやすい坂道」の上に立つことでも、三つは共通する。

 ■問われる「命の選別」

 病気や障害を排除し、より優良と考える子孫を残そうとする思想は「命の選別」とされ、ナチスへの反省も踏まえて批判の対象だった。しかし技術革新がその意味の問い直しを迫る。

 例えば、ゲノム編集によって本来生まれてくることのできない異常のある受精卵を治せるなら、それは新生児を救う「医療行為」と同じで、「命の選別」とはいえない可能性がある。ならば認めても良いのではないかとの意見が予想される。

 だが現実には、治療と予防を区別するのは容易ではない。

 では知能や身体能力を高めるための改変はどうか。個人の尊重を唱えるのなら、一律に禁止する根拠や理由はあるのか。

 この考えを突き詰めれば、親の希望で遺伝子を書き換えるデザイナーベビーを容認せざるを得なくなるかもしれない。一人ひとりの親が自分にとって最適な選択をしたとしても、望んだ社会になるとは限らない。もたらされるのは、多様な生を認めない生きづらい世の中ではないか。そんな声にも耳を傾け、合意点を見いだす必要がある。

 ■パッチワークを超え

 日本では新しい生殖技術が登場すると、そのつど対応を検討してきた。結果として、法律、行政機関の指針、学会による自主規制などが乱立。パッチワーク状態になっていて、貫く原則や理念は見えてこない。

 第三者の精子・卵子を使った生殖補助医療や代理出産も同様だ。子の権利や福祉に直接影響する話であり、多様な角度から検討して、整合のとれた制度を築くことが不可欠だ。

 政府の総合科学技術・イノベーション会議の下に生命倫理専門調査会が設けられてはいる。だがテーマは限られ、経済成長を目的とする会議体のため、人権や福祉の視点からの検討は軽視されがちだ。独立性の高い組織を設け、トータルな議論をする必要がある。国際的な動向への目配りも欠かせない。

 社会として守るものは何で、新しい技術に何を期待し、許容するのか。簡単に答えの出ない問題だからこそ、態勢を整え、考えを深めなくてはならない。

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