(社説)検察官の定年 繰り返される政権の病

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 きのうの衆院予算委員会の集中審議では、感染が広がる新型コロナウイルスへの対策とあわせて、東京高検検事長の定年延長問題が焦点となった。

 はっきりしたのは安倍政権の病というべき、後世に正確な記録を残すことへの無理解と、議論から逃げ、都合の悪い話はうやむやに済ませようとする国会軽視の体質である。

 検察官の定年延長は認められないという従来の政府見解を、急きょ変更したことについて、一般社会ではおよそ通用しない答弁がまたも繰り返された。

 いま見直す理由や検討の詳細を追跡できる記録類、そしてそれを最終決裁した文書が、法務省になぜ残っていないのか。この当然の疑問に対し、森雅子法相は「口頭で決裁するものも多い」の一言で片づけた。

 法務省にも行政文書管理規則がある。そこには、「文書主義の原則」という表題のもと、職員は、現在および将来の国民に説明する責務を果たすため、意思決定に至る過程や事務の実績を合理的に跡づけ、検証できるよう、軽微なものを除いて文書を作成しなければならない、と明記されている。

 法律が定める検察官の定年年齢を解釈で変えてしまうことが「軽微」な事案にあたると、法相は考えているのだろうか。検事の身分をもつ法務事務次官や官房長も同じ認識なのか。

 同様の不可解な対応は人事院についてもいえる。

 法務省と協議のうえ解釈を変更したことを示すものとして提出した文書に、なぜ日付が書かれていないのか。人事院の局長は、法務省に直接手渡したので記載しなかったと説明した。

 当事者同士がわかっていればよいのではなく、後世の検証に堪えるように行政文書を作成するのではないのか。野党議員の指摘にも、納得できる答えはついに聞かれなかった。

 こうしたやり取りを目の前で聞きながら、安倍首相は他人事のような態度に終始し、「(定年延長は)何ら問題はないと考える」と締めくくった。

 森友・加計問題を受けて文書管理のあり方を見直した際、首相は「公文書は国民と行政をつなぐ最も基礎となるインフラ」「公務員の文化として根づかせるようにする」と語った。官僚が用意した文章を読み上げただけの口先の誓いだったことが、今回の無法な振る舞いによって確認されたといえよう。

 検察に求められる公正・中立とは何か。国民の信頼に支えられるために、何をし、何をしてはいけないのか。法の支配とは――。突きつけられた課題は重い。この先も政権の姿勢を追及し続けなければならない。

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