3日に亡くなった朝日新聞社社主の村山美知子さん(99)は、日本の音楽祭の先駆けとなった大阪国際フェスティバルとともに歩み、文化交流と国際親善に力を注いできた。▼1面参照

 子どもの頃からクラシック音楽に親しみ、作曲も学んだ。大阪国際フェスティバルのきっかけとなったのは、戦前に朝日新聞社が催した海外音楽家の来日公演に携わり、村山家と交流があったニューヨークの音楽プロモーターから「ヨーロッパのフェスティバルを日本でやってみては」と勧められたことだった。

 村山さんは、オーストリア・ザルツブルクや英国・エディンバラの音楽祭や芸術祭を視察。各国の演奏団体と交渉を進め、1958年、大阪・中之島のフェスティバルホールで開かれた第1回大阪国際芸術祭にニューヨーク・シティ・バレエ団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団を招いた。

 芸術祭の後、村山家は財団法人大阪国際フェスティバル協会を設立。59年から大阪国際フェスティバルを開催した。61年には、旧東ドイツからライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団を招き、東西冷戦下の芸術交流にも貢献した。70年の万博企画ではカラヤンとベルリン・フィルによるベートーベン交響曲全曲演奏会を実現した。こうした功績により、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(仏)など、フランス、旧西ドイツ、オランダ、オーストリア、スペインから勲章を受けた。

 数々の名演奏の舞台となったフェスティバルホールへの愛着は深かった。旧ホールは2008年末から建て替えで一時閉館したが、高層ビル「中之島フェスティバルタワー」内に新ホールが完成。こけら落としとなった13年4月の大阪国際フェスティバルに出席し、旧知の指揮者・佐渡裕さんらに「新しいホールも音響がすばらしいと皆さんから称賛の声を聞き、心から安堵(あんど)しました」と話していた。

 15年1月、全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)を創設した祖父村山龍平の野球殿堂入りが発表された際には、「祖父の高校野球への貢献を評価していただき、とても喜んでおります」とコメントした。

 入院していた大阪市内の病院には、指揮者の小澤征爾さんや井上道義さん、佐渡さんら音楽関係者が見舞いに訪れていた。

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