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 文部科学省の検定に合格し、来春から中学で使われる新しい教科書は、親世代のものとは大きく様変わりしている。

 目を引くのは、教科書につきまとう味気なさを克服する工夫だ。例えば数学で統計の基礎を学ぶのに、花見の季節のコンビニの売り上げ動向から入る。1次関数の学習では桜の開花と平均気温の関係を紹介する。関係する仕事をしている人のインタビューも豊富に載っている。

 日常生活や実社会とのつながりを示すことで、生徒に「何のために学ぶのか」をわかりやすく伝えようとしている。

 一方で、野心的な試みに伴う副作用も否定できない。どの教科も、討論や発表、自分の考えを文章で表現する活動例などがふんだんに盛り込まれた結果、ページ数は現行本より平均で約8%、9年前の前々回検定と比べると20%も増えた。

 深い学びをめざす方向性に異論はない。ただ、子どもにじっくり考えさせるには、一つひとつのテーマに相応の時間をかけなくてはならない。授業の枠内でこなし切れるか、消化不良を起こさないか、心配になる。

 準備の時間を含めて教員の負担も増す。文科省は「メリハリをつけた教え方を工夫してほしい」と言うが、授業と関係のない校務を削ったり、教師を支える人手を増やしたりして、現場が余裕をもてる環境をつくり出さなければならない。

 中身が高度になった教科の筆頭は英語だ。小学校から英語の授業が始まるため、中学卒業までに扱う単語数は今の倍ほどになる。教える順序も、文法の説明は後回しにして「聞く」から入る設計になっている。実用重視の考えはここでも鮮明だ。

 だが近年の英語の大学入試改革をめぐる論議では、専門家から「話せるようになるためにも文法の土台が大切」との指摘が相次いだ。一方に偏らない教え方の工夫が求められる。

 「技術・家庭」の技術分野も変容が著しい。全教科の中で最もページ数が増えたが、それはプログラミングの記述が拡充されたためだ。内容も歯応えのあるものになっている。

 英語と技術の充実は、国際競争と情報通信技術を重視する国の政策のあらわれだ。安倍政権の意向で、道徳についても、検定教科書の使用を義務づけ、教員が評価する「教科化」が先行して始まっている。

 時代の要請には耳を傾けねばならないが、だからといって「改革」の名の下、子どもに教える内容を野放図に膨らませることはできない。誰もがついていける無理のないものになっているか。その視点からカリキュラム全体を見直す必要がある。