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 宮城県に住む小学2年の女の子が、登校を渋るようになったのは最近のことだ。

 東日本大震災の時は、まだお母さんのおなかの中にいた。仏壇の写真が津波で亡くなったお父さん。そう教えられ、毎朝、手を合わせていた。だが――。

 「私だけお父さんがいない」

 小学校に入り、授業参観や運動会があると、そんな言葉を口にするようになった。お母さんが黒い服を着ることをいやがり、津波の映像がテレビで流れるとチャンネルを変える。

 ■悩み、言えないまま

 「人の死の意味が実感として分かってくる年ごろです。もうずっと会えないんだと、いま、喪失体験をしている。震災の影響は過去の問題ではなく、現在進行形。時間をかけて見守っていくことが必要です」

 震災遺児の支援を続ける、あしなが育英会の「東北レインボーハウス」所長の西田正弘さんはそう話す。

 震災で親を亡くした遺児は約2千人。両親をともに失った子は約250人いた。

 「悩むこと自体がだめなことと思い、悩みを解消するのではなく、悩んでいる自分にふたをして、悩まない人間にならなければと強がっていた」――。厚生労働省の補助を受けて民間研究機関がおこなった調査に寄せられた、ある孤児の言葉だ。

 中学、高校を順調に過ごしたのに、大学に進んで一人暮らしを始めたら、学校に行けなくなったという例もあった。

 調査をとりまとめた東北大学の加藤道代教授は「みんな大変だからと、悩みを言い出せずに抱えこんでしまう子も少なくない。これから先、進学や就職など不安に直面する時期がある。そのときに、相談し、頼れる人や場があるといい」と話す。教授は、遺児や孤児から相談を受けてきた大学の「震災子ども支援室」の室長を務める。

 ■連携しフォローする

 岩手医科大学にある「いわてこどもケアセンター」副センター長の八木淳子(じゅんこ)医師らのグループは、岩手、宮城、福島の3県で、震災後の11年4月から翌年3月に生まれた約220人の追跡調査を続けている。

 きっかけは「落ち着きがない子が多い」「集団行動が苦手」といった保育士の声だった。震災5年後の調査では、認知と語彙(ごい)の発達に半年前後の遅れが出ていた。混乱のなかで乳児期を過ごしたことが関連している、とみられた。

 結果を保護者や保育所、学校と共有し、医師が子どもとの関わり方を助言したり、必要に応じて医療機関を紹介したりした。こうした活動が功を奏したようで、遅れは取り戻されてきているという。

 専門的なケアとともに八木医師が重視するのが、家庭と地域とのつながりだ。PTAや子育てサークルの活動に参加している保護者ほど心の状態がよく、子にも良い影響を与えている。

 「地域に受け入れられ、気にかけられている。保護者がそう感じることが、子どもの心理的安心につながり、本来の能力を伸ばす後押しをしている」

 ケアセンターに寄せられる不登校などの相談の中には、時間をかけて事情を聴いて初めて、震災の影響だと判断できるものが目立つようになっているという。そんな子どもたちを見逃さない取り組みが必要だ。

 自治体の健診や子育て相談など親子が集まる場に医師が出向き、支援につなげているNPOもある。だが被災地にくまなく目を配るのは不可能だ。ここでも重層的な連携が欠かせない。

 ■問われる社会の姿

 被災地の小中高校には、国の復興予算でスクールカウンセラーが手厚く配置され、臨床心理士らが子どもへのカウンセリングや先生の相談に応じる。3県の約1500カ所に630人ほどが派遣されている。訪問は週1回程度になるが、教職員とは別の視点から子を見ることで、新たな気づきが得られる。

 政府は震災10年の節目となる来年以降も、子どもたちの心のケアを続けると決めている。息の長い支援を望みたい。

 支援を必要としているのは、もちろん子どもだけではない。災害公営住宅での孤独死は13年以降で200件を超える。

 被災者の心のケアの必要性が広く認識されるようになったのは、95年の阪神・淡路大震災がきっかけだった。その最前線に立った精神科医の故安克昌(あんかつまさ)氏はこう書き残している。

 「心の傷を癒やすということは精神医学や心理学に任せてすむことではない。社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることである」

 相次ぐ自然災害、そして現下のコロナ禍と、様々なストレスにさらされながら人は生きている。子どもからお年寄りまで、その影響のあらわれ方も、程度も、一人ひとり全て違う。

 そこにどんな手を差し伸べたらいいか。被災地の経験をいかし、その成果をまた被災地に還元することによって、優しく、しなやかな社会をつくりたい。

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