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 異例の緊張感の中で迎えた憲法記念日である。

 新型コロナウイルスはすでに500を超える貴い命を奪った。全国におよぶ緊急事態宣言のもとでの外出自粛や商業施設の休業で、得られるはずの収入が失われ、生活基盤が根底から脅かされている人も数多い。

 国家の最大の使命は国民を守ることであり、そのよりどころとなるのが憲法だ。

 このコロナ禍の下、安倍政権はその使命を正しく果たしているのだろうか。

 ■まずは生存権の保障

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。憲法は25条1項のこの条文により、国民の生存権を保障している。続く2項は、社会福祉や社会保障とともに「公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国に義務づける。

 安倍政権が実施している感染拡大防止の対策は、この第2項の求めによるものだ。

 感染者の増加に伴い、医療現場では医師や看護師、専用病床に加え、マスクや防護服の不足まで深刻になっている。

 総務省が2017年に実施した厚労省の感染症対策への行政評価では、「感染症患者が良質かつ適切な医療を受けられる体制が確保されているのか危惧される」との見解が示されていた。その危惧は現実のものとなりつつある。公衆衛生の拠点となる保健所の削減も続き、歴代政権が未知の感染症に十分に備えてきたとは言いがたい。

 それでも欧米に比べ死亡者数が抑えられているのは、国民皆保険のもと必要な治療を受けられる医療アクセスの良さとともに、最前線の医療従事者らの献身と、不足を補う工夫に負うところが大きいだろう。

 一方、外出自粛や休業が長引くにつれ懸念されるのが、「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するのが困難になる国民が増えていくことだ。

 真っ先にしわ寄せを受けるのは、非正規労働者やアルバイト、中小・個人の事業主、一人親家庭など経済・社会的な弱者だ。7都府県に最初の緊急事態宣言が出されてからでも、すでにひと月近く。日々の生活費などをぎりぎりまで切り詰めている人たちには、対策の一刻の遅れは死活的となりかねない。

 ■「個人の尊重」と相反

 財産権を保障する29条を根拠に減収を補償するのは難しいと多くの法律家は見るが、25条の趣旨を踏まえれば国が政策として最大限のセーフティーネットを張るべきなのは当然だ。

 生存権が脅かされるほどではなくても、すべての国民が外出自粛や休業、休校によって、22条や26条が保障する移動や営業の自由、教育を受ける権利などが制限されている。

 罰則を伴う強制的な命令によって外出などを禁じている欧米諸国とは異なり、日本ではあくまでも「要請」という国民へのお願いが基本だ。

 多くの国民は感染拡大を防ぐためにはやむを得ないと考え、自発的な意思によってこれを受け入れてきた。首相が求める「人との接触8割減」が必ずしも達成されていないにしても、一定の効果は上げている。

 同調圧力を受けやすいといった日本人の性質がいい方向に作用している面はあるだろう。一方で、それとは裏腹の落とし穴もある。

 「子供が公園で遊んでいる」と警察に通報されたり、営業する店にいやがらせが続いたりする例が各地から伝えられる。

 それぞれの事情をかえりみず、いたずらに他者を監視し、傷つける行為は、いまの憲法がもたらした最大の価値とされる13条の「個人としての尊重」とも相いれない。

 ■備えは改憲でなく

 緊急事態宣言が延長されれば、国民はさらに長期間、生活不安や不自由を強いられる。それをしのいでいくためには、国家は国民を必ず守るのだという指導者の覚悟と、それに対する信頼感が欠かせない。

 緊急事態を宣言した先月7日の記者会見で、安倍首相が「最悪の事態になった場合、責任をとればいいというものではありません」と責任論をかわしたのは、その自覚がないことの表れというほかない。

 今回の事態を受け、自民党などの一部の議員からは、憲法に緊急事態条項を新設すべきだとの声が出ている。国家的な緊急事態になれば、内閣は法律と同じ効力をもつ政令を定めることができるといった内容だ。

 だが、このように憲法秩序を一時的に停止させる強力な権限を内閣に与えるまでもなく、25条2項をもとに新型インフルエンザ等対策特別措置法や感染症法などの法律がすでに整えられている。必要なのはそれらの法律に不備はないか、適切に運用できる体制は十分なのかを常に点検することだ。

 いま安倍政権がなすべきは、憲法を変えることではない。憲法に忠実に従い、国民の命と生活を確実に守ることである。

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