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 復帰48年となるきょう15日を、沖縄はこれまでとは違った様子で迎える。毎年この日前後におこなわれてきた「5・15平和行進」が、コロナ禍によって初めて中止になったのだ。

 県外からの参加者も含め、数千人が3日間かけて米軍基地や沖縄戦跡を歩く企画は、1978年に始まった。米軍統治時代に日本復帰を願って先人が取り組んだ運動が原型で、沖縄の現実を自分たちの目で確認し、復帰の内実を問い直そうという思いが込められている。

 では、その「沖縄の現実」とはいかなるものか。

 今年に入っても在沖米軍による事件事故が絶えない。原因究明や再発防止を求める声は、日米地位協定の壁にはねつけられる。辺野古では、計画の実現可能性に大きな疑問符がつきながらも、民意を無視した日本政府の手で基地の建設工事が続く。先人がめざした「基地のない平和な島」は、むしろ遠ざかっているようにすら見える。

 県民が納得できない出来事は他にもあった。7年前、普天間飛行場の県内移設断念などを求め、全41市町村の首長が保革の立場を超えて署名し、発足間もない第2次安倍政権に提出した「建白書」をめぐる発言だ。

 防衛省は今年2月、これを国立公文書館に移管して、永久保存すると明らかにした。文書の歴史的意義を政府も認めたことを意味する。だが県内移設の是非に関しては、河野太郎防衛相は「建白書とは考え方が違う」「政策に変化はない」と言うだけで、沖縄の声に耳を傾ける姿勢はついに見せなかった。

 昨年2月の県民投票を実現させる運動の中核を担い、辺野古ノーの民意を改めて確認した大学院生の元山仁士郎(じんしろう)さん(28)は「この国に民主主義はあるのか」と問いかける。

 建白書は、その後の沖縄の歩みとも密接にかかわる。

 首相に提出する前日、東京・銀座をデモ行進して基地負担の軽減を訴えた首長らに、一部の者が「売国奴」「日本から出て行け」と罵声を浴びせたのだ。デモの列にいた当時の翁長雄志(おながたけし)那覇市長は本土への不信を強め、自民党県連の重鎮という立場から、沖縄の声を主張して引かぬ「闘う知事」に転身した。

 平和主義、生存権、法の下の平等、地方自治――。復帰運動は単に日本国民になることを望むものではなく、日本国憲法のこうした理念を支持し、その憲法の下でくらすことを希求する人びとのうねりだった。

 沖縄はいまどんな状況にあるのか。過重な負担に耐え続ける県民の声をどう受けとめるか。本土に住む者が考えなければならない5月15日だ。

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