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 第2次大戦末期、ソ連軍が日本への攻撃を始めてから、おととい9日で75年を迎えた。

 ソ連の対日参戦をめぐる歴史的な評価は日ロ間で大きく隔たっており、平和条約交渉の行方にも影を落としている。

 広島での原爆投下など、日本にとって戦況が悪化するなかでのソ連の参戦だった。当時の日本は米英との仲介をソ連に期待していたが、その望みを断ち、降伏を決定づけた。近年、ロシアが連合国勝利への貢献として強調する歴史である。

 だがソ連の参戦は米英との合意に基づいていた一方で、当時まだ有効だった日ソ中立条約には違反していた。

 日本が8月14日にポツダム宣言受諾を表明し、9月2日に正式に降伏文書に署名した後も、ソ連軍は攻撃を続けた。当時日本領だったサハリン南部や千島列島、北方四島を占領したことは、今も解決できない領土問題を残した。

 日本が支配していた旧満州などの日本兵ら約60万人がシベリアなどに連行された。過酷な環境で約6万人が命を落とした。

 日本の無謀な侵略と戦争継続が招いた帰結とはいえ、領土の拡大や武装解除後の兵士の抑留は、連合国が当時掲げていた原則にも反していた。

 これらはいずれも、当時のソ連の独裁者スターリンが引き起こした歴史的悲劇だ。

 しかしロシアは今、「連合国の行ったことはすべて神聖だ」(ラブロフ外相)と主張し、北方領土問題を含め、一切の議論を受け付けない。

 エリツィン元大統領はシベリア抑留について、非人間的行為だったと認めて日本に率直に謝罪したが、そうした経緯は忘れられてしまったようだ。

 特に懸念されるのは、プーチン大統領が昨今、第2次大戦をめぐるスターリンの行為を評価する姿勢を強めていることだ。

 6月に発表した論文では、スターリンの自国民に対する弾圧を批判する一方で、ナチスドイツと密約を結んでポーランドに侵攻し、バルト三国を併合した歴史は正当化した。

 国民の愛国心を鼓舞して政権の求心力に転化させようと、歴史を都合良く描き直し、宣伝しているとみるほかない。

 多くの周辺国は、プーチン氏の独善的な歴史解釈を懸念している。クリミア半島の併合や、周辺国の分離独立勢力への支援など、昨今のロシアの振るまいにも通じるからだ。

 ロシアであれ日本であれ、過去に学ばない者は同じ過ちを繰り返す。日ロが次世代のために平和条約交渉を前進させるためには、ともに自国の負の歴史を直視する必要がある。