[PR]

 1995年、北京で開かれた国連の第4回世界女性会議(北京女性会議)は、女性の貧困や教育など12分野の目標を掲げた行動綱領を採択、各国の女性政策の推進を強力に後押ししました。日本からは約5千人が参加。ジェンダー格差の解消と地位向上の願いを、世界から集まった数万の女性と共有しました。あれから四半世紀、参加者たちは北京でどんな糧を得て、どう歩いてきたのでしょうか。

 ■性差別解消へ、自然体で

 ●福岡 本多玲子さん(61)

 1993年から、セクハラ被害者を支援する「ぐるうぷ・NO!セクシュアル・ハラスメント」で電話相談の活動をしていました。北京会議のNGOフォーラムでは、日本のセクハラ被害について発表しました。50人ほど集まり、オランダの女性警察官からは「警察でもセクハラがある」、他の聴衆からも「自分の国も同じだ」と共感されました。

 他国のワークショップにも参加しました。中でも、ルワンダの女性が内戦時の性暴力の実態について語る姿を間近で見て、テレビで見る遠い国の話が、同じ女性に起こる地続きの出来事だと実感しました。

 世界の女性が生き生きと語る姿が輝いて見えました。「もっと自然に楽しくやっていいんだ」と。世界中に仲間がいると感じられ、私はこの道を進んでいこう、と自信が持てるようになりました。

 その翌年に福岡県男女共同参画センターの相談員に。4年前からは国際協力機構(JICA)の事業で、アフガニスタンの新人女性警察官に女性への暴力に関する研修の講師もしています。会議が世界に目を向けるきっかけになりました。(聞き手・伊藤繭莉)

 ■「結果出して」の声励みに

 ●大阪 荒金雅子さん(59)

 女性の再就職支援団体のメンバーとして北京に行きました。現地で、日本女性のM字形就労を問題提起するワークショップを開きました。メキシコ人女性に「どんな変化を起こしたの」と問われ、「頑張っている」と答えると、「結果を出さなきゃ意味がない」と言われてしまいました。彼女は少女売春をなくしたいと、大臣にまでなった人でした。「どう結果を出すかが重要」という言葉に、揺さぶられました。

 その後、企業や社会のシステム自体を変えたいとの思いが募り、2006年に起業。主に企業向けに研修やセミナーを行い、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を自覚する重要性や、多様性を包摂する職場への変革を説いています。

 仲間たちと「女性役員を3割に」、との呼びかけを始めています。25年の大阪・関西万博ではウィメンズエキスポを開く構想も温めています。

 恨みなどのルサンチマンを原動力とする女性運動は、限界があると思います。男性をうまく巻き込み、一緒にやっていく必要があると思います。(聞き手・机美鈴)

 ■人としての平等を/選挙の立候補応援

 ●茨城 西連寺節子さん(69)

 25歳で結婚し専業主婦に。3人の子育てに追われていた40代前半から、水戸市主催の女性のための勉強会に通い始め、その縁で北京会議に誘われました。参加してみたら衝撃! ネパールの女性弁護士が「女性の識字率は低い。私は恵まれている」と。ハッとしました。文字が読めないことは、自分の立場に気づき、訴える機会を奪われることだと。

 男女の差を感じることもありました。息子が通う小学校のPTA副会長だった時、苦労して実現させた創立記念コンサートで、壇上に立ちあいさつしたのは、もう一人の男性副会長。息子に「みんなが、お前の母ちゃん出てくるぞって言ってたのに。今は男女平等なんでしょ?」と聞かれ、返す言葉がありませんでした。

 私が目指すのは、男女の枠を超えた人としての平等です。違いを認め、それぞれが持ち味を発揮できる社会になってほしいですね。(聞き手・大谷百合絵)

 ●徳島 諏訪公子さん(77)

 「男の子だったら良かった」。小さい頃から父にそう言われ育ちました。母は黙って父に従う。子ども心に不思議でした。

 北京会議では、アフリカの女性差別をテーマにしたワークショップなどに参加しました。とにかく刺激を受けました。「私もなにかしなくちゃ」。思いを強くしました。

 1999年に「阿波女を議会に!バックアップスクール」を地元で設立。勉強したり、立候補する女性たちを応援したりしてきました。

 徳島県は女性社長の割合が全国トップ級で、主要な経済団体のトップも女性が占め、女性の社会進出が進んでいるとみられることも多い。ただ、それは一面。県内に女性議員がゼロの議会は複数あります。

 25年、変化が遅すぎる。候補者を男女同数にすることを求めるフランスのパリテ法のようなものが日本にも必要です。与党や各党の党首が、強い意思を持ってリーダーシップを発揮しなければ変われません。(聞き手・高橋末菜)

 ●愛媛 立川百恵さん(82)

 地域生協の意思決定の場に、女性の参画を――。日本生活協同組合連合会の「女性評議会」の議長として、北京会議のNGOフォーラムで報告をしました。でも、一組織の話。広い視野で女性の問題を捉えていなかったと反省しました。

 会場の熱気はすごかった。「慰安婦」問題に取り組む団体のワークショップでは、性産業に関わるプロの女性たちが意見をぶつけていました。のびのびと発言する女性たちは太陽のように輝いていました。

 その後、「まつやま男女共同参画会議」の会長として松山市の男女共同参画推進条例案をまとめました。あれから25年、政府が「指導者層に女性を3割」という目標を諦めたのが残念です。コープえひめが役員を女性だけにした時、「ムチャクチャだ」と言われましたが、ちゃんと運営できた。いま足りないのは、社会をそっくり変えようとする「本気」だと思います。(聞き手・照井琢見)

 ●秋田 信太和子さん(69)

 好奇心で参加し、つたない英語でしたが、各国の女性特有の問題を幅広く議論しました。

 女性が自分の手で稼がなければ社会は変わらない。社会の意思決定の場に参加したいと、2003年に2度目の挑戦で能代市議に初当選しました。北京会議が大きな突破口になり、困難でもやってみようと思ったのです。

 初当選時、女性市議は3人。反対の論陣を張ると、男性市議よりもヤジが多かったり細かな言動を厳しく非難されたり、男より女に反対される方が腹立たしいのだなと感じることがありました。

 ただ、私も自分の固定観念に驚いたことがあります。銀行で融資を受ける際、若い女性行員が担当になって一瞬不安がよぎりました。もちろんきちんと仕事をしてくれて、反省しました。一人一人が自分の中の差別を自覚して変わらなければいけません。(聞き手・野城千穂)

 ●奈良 川合紀子さん(78)

 奈良県の女性政策課長としてNGOフォーラムに参加しました。奈良県からは17人が参加しました。私のグループは、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)」について、アンケートをとりました。妊娠中絶が合法かどうかや、乳がん検診の制度があるかなど12項目を37カ国111人に尋ねました。私が話せるのは「プリーズ」と「サンキュー」だけ。身ぶり手ぶりで頑張りました。調査結果は後に日本母性衛生学会で発表しました。

 定年直前に、奈良県初の女性の部長級職に就任しました。行政も民間も女性の管理職はまだ少ないです。クオータ制など、まずは女性をポストに就けてから育ってもらうのも手だと思います。(聞き手・根本晃)

 ●富山 小路みつ子さん(87)

 小学校教員だったころ、管理職は男性だけ。「あんたも男だったら良かったのに」と言われて食ってかかったこともありました。

 北京会議のワークショップでは、識字率や貧困、人権など、みんなが自分の地域の課題にどう取り組んでいるかを必死に訴えていました。そのパワーや表現力にすごく感動しました。でも、行動に移す大切さもひしひしと感じました。

 自分の地域で何ができるかと考えた時に、男性を誘って一緒に話したり作業したりする中で、課題を解決していけんかなって思いました。高齢化が進む地域でどう支え合うか。やってみると、素直に女性の意見も大事だと分かってくれた人もいました。とにかく、一歩前進する。それが大事です。(聞き手・竹田和博)

 ■就労条件の是正、訴え 兵庫・尼崎、2002年から5期連続で女性市長

 兵庫県尼崎市からは「尼崎・北京の会」の34人が現地入りしました。労働者のまちとして性別による不平等な就労条件を訴えようと、ワークショップ「パート労働と尼崎の女性」を開催し、他国の参加者らと意見交換しました。

 34人は市議6人や地域活動や行政に携わる人など様々。つながったきっかけは1992年に市議会で発覚した、全議員がかかわる不正出張です。憤った市民らの運動で、翌年議会が解散し、出直し市議選で女性議員は5人から10人へ倍増しました。内田信子さん(72)もその一人。94年の市議会で内田さんは市からの団派遣を提案したが、「そんなもん自分の力でやらんか」と男性議員にやじられました。

 翌年1月、阪神・淡路大震災が起きた。「こんな時に参加していいのかどうか悩んだ」と振り返るのは、ボランティア活動などをしていた川本ミハルさん(77)。自費とカンパで34人が出発。「震災と女性」もテーマに加え、震災後に女性が解雇されるなど、立場の弱い人がよりつらい目に遭う現実を発信しました。

 女性団体で活動していた三谷順子さん(70)は「この25年間で様々な当事者が声をあげ、しんどい人に寄り添う活動が増えた。若い世代が担っていることに希望がある」という。

 参加した市議のうち、白井文さんは2002年に最年少女性市長に。稲村和美・現市長が続き、尼崎は通算連続5期18年間、女性が市長です。「市長って男でもなれんの?」と市内の子どもが言ったというエピソードもあります。(中塚久美子)

 ■タテとヨコの連携、課題 若い世代にはどう映る 山口慧子さん(29)

 ジェンダー平等の歩みや課題を世界規模でふりかえる「北京+25」に向け、国連女性機関(UN Women)が設置した「北京+25ユースタスクフォース」で活動する山口慧子さん(29)にも聞きました。

     ◇

 30カ国の20代30人で、若者が直面している課題について議論してきました。ジェンダー平等を進めるためには、既成概念や社会制度など、さまざまな「当たり前」を変えていく必要があります。ものごとを決めるプロセスに、若いフェミニストの視点がもっと入るようにすることが、その推進力になると考えています。

 身近な課題について声を上げ、行動する若者は、増えています。ただ、海外と比べ、ヨコの連携が弱く、政府のカウンターパートになるほどの影響力を持てていません。「北京世代」の経験が、若い世代に十分伝わっていないのも残念です。

 若者のジェンダー問題への関心が一過性で終わらないよう、個人や団体同士が連携し、上の世代が達成してきたことや、個々の生きづらさの背景にある構造的な暴力について学ぶことが、課題だと考えています。(聞き手・三島あずさ)

 ◇25年前、母(70)も区の公募メンバーとして北京に行き、高揚感いっぱいで帰国しました。審議会の一員として男女平等推進条例づくりにも関わりましたが、長時間労働をはじめとした男性社会の「当たり前」を変える運動を展開できなかったと悔やみます。社会学者の上野千鶴子さんは、北京女性会議を「日本の女性運動のピーク」と評しました。全国に建った女性センターは、行革の波を受けて機能を縮小。運動の継承も進んでいません。最近はツイッターで発信するフェミニストたちに中傷や反発が投げつけられ、あらわになった溝に胸が痛みます。

 平等実現の道は険しいですが、絶望せず、よりよい未来にいかに近づくか。北京に行った母からの娘への宿題です。(机美鈴)

 ◇来週9月6日は「『女性リーダー3割』って難題?」を掲載します。

 ◇アンケート「ジェンダー平等、なぜ遠い?」「レジ袋有料化、どう思う?」をhttps://www.asahi.com/opinion/forum/で実施中です。

こんなニュースも