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 国連はことし、創設75年を迎えた。今月始まった節目の総会で、加盟193カ国は全会一致で共同宣言を採択した。

 「多国間主義は、選択肢ではなく、必然である」

 その文言は、大国の「自国第一主義」が幅を利かす現状への戒めであるとともに、国連の危機感を映し出している。

 2度の大戦への反省に立った国連憲章は、平和と安全のための「努力の結集」をうたった。それは単なる理想ではなく、一国では対処できない難題が出現する現実を見据えたものだ。

 この75年は、まさにその歴史である。冷戦とほぼ軌を一にした核兵器の登場と拡散。国境を越えたテロ。地球規模の気候変動。そして今、未知の感染症が猛威をふるっている。

 これらへの対応は国連抜きには機能しない。ところが米国と中国・ロシアによる対立と競合が、安全保障理事会の活動を著しく制約している。いまのコロナ禍でもこの3国は、開発されるワクチンの共有枠組みに参加しようとしない。

 この現状のなかで、日本の国連外交はどうあるべきか。

 戦後日本は国連中心主義を外交の軸の一つに掲げ、長らく米国に次ぐ分担金を負ってきた。今は中国に抜かれて3位だが、90年代末からの「人間の安全保障基金」などを通じた地道な貢献は評価されている。

 ただ最近、それを支えるはずの日本の世論に気がかりな兆しがみられる。米国の有力機関による今夏の調査によると、国連を否定的に見る日本人が急増しており、肯定派の比率は米欧を含む14カ国中、最低だった。

 コロナ禍での国連機関の対応に国際批判が強まっていることが影響したと分析されている。米中の対立などで国際情勢の不安が高まるなか、国連の見えにくい役割に無力感を覚える人もいるのかもしれない。

 だが忘れてならないのは、国連を動かす主体は日本を含む加盟国自身であることだ。問うべきは、国連が自国に何をもたらすかではなく、国連を通じて日本が何を実現するかであろう。

 菅内閣発足に伴い、茂木外相は安保理常任理事国入りをめざす考えを確認した。主導的な役割を果たす覚悟があるならば、米国追随ではない真の国連中心外交を確立する必要がある。

 欧州や豪州、カナダ、アジア諸国などと連携し、特定の国の力ではなく、ルールと規範によって秩序を守る枠組み強化をめざす。それが「無極化世界」における日本の役割ではないか。

 菅首相は総会での演説冒頭で、多国間主義を強めるための連帯を呼びかけた。その言葉に違わぬ外交努力を望む。

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