「また逢(あ)う日まで」「魅せられて」……。洗練されたサウンドで、日本のポップスの表現領域を広げた希代のメロディーメーカー・筒美京平さんが7日、80歳で死去した。ピンク・レディー、山口百恵などを手がけ、同時代に競い合った作曲家・都倉俊一さん(72)が見る筒美サウンドの魅力とは――。

 ■「魅せられて」のサビで裏声、まねできない 歌い手の身になり自在に、とにかく幅広く

 「こうきたか!」「やられた」。(筒美)京平さんと同じ時代にいて競い合うとき、そういうことがしょっちゅうありました。非常に尊敬し、意識していた。日本のポップスの先駆者であり、第一人者だった。

 歌い手によってまったく違うアプローチをする人だった。例えば、岩崎宏美はもう抜群に歌がうまいですよね。非常に透き通った彼女の高音に映えるようなメロディーを作ったのが「ロマンス」という曲。

 太田裕美の「木綿のハンカチーフ」もそう。「僕は旅立つ~♪」というあたりは、彼女のロングトーン、ハイトーンを見事に生かすような曲だった。

 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は、はじめ別の歌手に提供されていたが、声量があればあるほど生きるようなメロディーに仕立てられており、尾崎紀世彦の歌唱力を100%使いきるような歌だった。

 その歌手の歌唱力や音域の広さに合わせて自在に歌を作った。例えば、浅田美代子に書いた「赤い風船」なんかは、1オクターブくらいの音域の中に、彼女のたどたどしさが逆に魅力になるようなメロディーを詰め込んで、魅力を見事に引き出してヒットさせちゃった。あのときにも「おおー、すごい!」って思ったんですよね。

 一番好きな曲は……、ジュディ・オングの「魅せられて」ですかね。サビでファルセット(裏声)を使うメロディーに、パフォーマンスとアレンジも含めて「これはやられたな」という感じ。古今東西色んな作品がありますけど、このジャンルはこの1曲で終わり、まねはできないっていう曲がたまにある。この曲もそう。もう同じような路線で作ってみようとは思えないぐらい完成されている。

 京平さん自身は、歌があまりうまくなかった。でもそれが懐の深さ、引き出しの多さにつながっていた。作曲家には色んなタイプがいるけど、自分で歌える人たちは、自分の世界に入って、自分が歌って気持ちいい歌を作る。でも、自分で歌わない京平さんは、完全に提供する相手の身になって歌を作るから、とにかく幅が広かった。

 京平さんとコンビを組んだ阿久悠さんもそうでした。阿久さんは実体験を歌にすることはほとんどなかった。僕は阿久さんを「妄想作家」って呼んでいたぐらいでね。京平さんと阿久さんは、「自分を主人公、主役にしない」という点で共通していたと思う。そして、時代を嗅ぎ分けて合ったものを投げていく「大衆とのキャッチボール」が2人とも抜群にうまかった。

 僕と京平さんの違いは、まず詞先か曲先か。僕は曲を先に作るけど、京平さんはできあがった詞にメロディーを付けることが多くて、「良い詞がほしい、良い詞がほしい」と言っていたらしい。

 あとは、プロデュースするタイプかどうか。僕はピンク・レディーにしても山口百恵にしても、シリーズものにしたり、編曲したりとすべてプロデュースする。京平さんはプロデュースというよりは、楽曲そのもので勝負する。その違いはありました。

 1970~80年代はとくに、時代と音楽が一緒に歩いてきた。そして何百万、何千万の人たちの心に残る曲が生まれた。その中で、京平さんを先頭に、全速力でみんなで走り抜けてきた。仲間であり、ライバルであり先輩であり。だから亡くなったという知らせはショックでね。

 でも、決して作品がなくなるわけじゃない。京平さんや僕らの時代の音楽は、クラシックとしてずっと先の未来まで残っていくものがたくさんあると思う。だから、どう伝承されるかに興味がある。

 いまはシンガー・ソングライターが一つのジャンルを確立した。しかしいつの日か、何十年後かに、あらゆる歌手を通じて人の心に伝わる、普遍的なメロディーを書くソングライターという職業作家がいた時代のことが評価され、受け継がれるときが来て欲しい。京平さんも、きっとそういう思いがあったんじゃないかな。(聞き手・定塚遼)

 <訂正して、おわびします>

 ▼18日付文化・文芸面「筒美京平さんを悼む 作曲家・都倉俊一さん」で、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」について触れた部分を、「尾崎紀世彦の『また逢う日まで』は、はじめ別の歌手に提供されていたが、声量があればあるほど生きるようなメロディーに仕立てられており、尾崎紀世彦の歌唱力を100%使いきるような歌だった」と訂正します。「また逢う日まで」は当初、別の題名で別の歌手に提供された楽曲でした。確認作業が不十分でした。