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 政権の意に沿わない数人を見せしめのように排除することで、科学者の世界に影響力を及ぼそうとしたのではないか。この重大な疑念が解消されることは一向になかった。

 菅首相が出席する衆参の予算委員会が4日間の日程を終えた。最大の焦点となったのが、日本学術会議の人事だ。

 首相はなぜ、会員候補105人のうち6人の任命を拒んだのか。腑(ふ)に落ちる説明は最後まで聞けなかった。むしろ、言葉を重ねるごとに、矛盾や新たな疑問が生じた。本当の狙いを隠したまま、後付けで理屈を積み上げているためではないか。

 当初は「総合的・俯瞰(ふかん)的活動」、その後、年齢や大学などの「多様性」の確保を理由にあげた。しかし、この6人の排除が多様性に逆行すると指摘されると、「今回の判断に直結はしていない」と言い訳を始めた。

 ついには「国民・国会に責任が負えない場合」という新たな判断基準を持ち出したが、学術会議側が優れた研究や業績を認めて推薦した6人を任命することが、そんな場合に当てはまるとは到底考えられない。

 6人の中には、菅政権の今も政府の会議の委員を務めている人がいる。公的な役割を、片やお願いし、片や拒む。支離滅裂と批判されても当然だ。

 政府はこれまで、学術会議の独立性を尊重し、首相の任命は形式的なものであって、学術会議の推薦をそのまま受け入れると、国会などで説明してきた。

 これに対し首相は、推薦通りに必ず任命しなければならないわけではなく、それは「内閣法制局の了解を得た、政府の一貫した考え方」だと強調した。しかし、この解釈を記した文書がつくられたのは、わずか2年前のことだ。会員選考が選挙から推薦制に変わった83年当時から続くものだと主張するが、それを裏付ける、以前の記録を政府は示せずにいる。

 しかも、2年前の文書は、当時学術会議会長だった山極寿一・京都大前総長には示されなかった。政府は口頭で報告したというが、当の山極氏は「覚えはない」という。政府がこっそりと、法解釈を事実上変更したと見られても仕方あるまい。

 首相は今回、「推薦前の調整」が働かなかったとも言い出した。学術会議の独立性に対する介入の意図を認めたも同然の看過できない発言だ。

 こんな説明をいくら繰り返されても、説得力はない。学術会議のあり方について、今後議論したいというなら、信頼関係を壊したまま進めることもできまい。まずは首相が潔く過ちを認め、6人の任命を認めるところから再出発するしかない。

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