[PR]

 地方議会が議員に科した「出席停止」処分の適否を、裁判所が判断できるか否かが争われた裁判で、最高裁大法廷は「司法審査の対象となる」との判決を言い渡した。司法権は及ばないとしていた1960年の判例を60年ぶりに変更した。

 議員同士の対立や遺恨を背景に、多数派が押しきったと言わざるを得ない不可解な処分が往々にして見られる。そんなことでは地方自治も議会制度も機能しなくなる。裁判所は議会の自律に十分配慮しつつも、必要なときは積極的に関与し、誤りを正すことをためらうべきではない。そこに道を開いた妥当な判決と評価したい。

 裁判は、4年前に議会での発言を多数会派から批判され、23日間の出席停止となった宮城県岩沼市の元市議が起こした。

 地方自治法に基づき、地方議会は議員に対し、除名、出席停止、陳謝、戒告の懲戒処分を行うことができる。これまで判例は、議員の身分を奪う「除名」以外は内部規律の問題であり、自主的な解決に委ねるべきだという立場をとってきた。

 これに対し最高裁は今回、住民自治の重要性を指摘。議会への出席を禁じられれば「住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなる」と述べ、「裁判所は常にその適否を判断できる」と判例変更に踏み切った。

 地方議会に限らず、それぞれのルールを持ち、自律的に運営されている組織や団体がある。大学、宗教団体、政党について、最高裁は学問、信教、結社の自由を踏まえ、単位認定や教義、除名処分などをめぐる争いには、司法は基本的に介入できないと判断してきた。

 だがそうした組織の一つである地方議会を見ると、出席停止処分だけで11年間で125件、さらに議場での発言の取り消しを命じたり、質問時間を著しく制約したりする措置も散見される。裁判で争おうとしても判例が壁になって、ひとくくりに入り口で退けられるのが常で、かねて疑問や不満が出ていた。

 議会の自主自律はもちろん尊重すべきだが、裁判を受ける権利や紛争を解決する司法の使命も重要だ。一連の司法制度改革はその機能を強化し、頼りがいのある司法をつくることをめざした。それなのに裁判所自身が「司法の限界」を幅広く設け、そこに逃げ込んでしまっては存在意義が問われよう。

 自律的に運営されるべき組織で、立場の弱い人が困難な状況に陥っても解決が図られない事態は、今後も十分ありうる。組織の目的や紛争の性質、深刻さなどを見極め、適切な対応をとることが司法には求められる。

こんなニュースも