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 ■法政大×朝日新聞

 コロナ禍で世界中の大学がそのあり方を変えていく。法政大学では「これからの大学 for ダイバーシティ~多読・会読・連読の場~」をテーマに、学びの伝統的なスタイルだった「読む」ことや、学びの場について、いかに再定義していくかを論じ合った。

 【東京都千代田区の法政大学市ケ谷キャンパスで11月22日に開催。インターネットでライブ動画配信された】

 ■基調講演 オンラインでも核となるのは「言葉」 法政大学総長・江戸文化研究者、田中優子さん

 コロナ禍では、大学がこれから何を考えていくべきか、多くの発見がありました。私たちはこれまで、対面によって、相手の表情や口調や動きといった身体を読み、さらに空気も読んで、たくさんの情報を一挙に同時に受け止めてきました。自分の発話への反応、とっさのやりとり、短い質疑応答――そうした言葉のコミュニケートが、オンライン授業では見えにくくなっています。

 法政大学の学生アンケート結果によると、評判が高いオンライン授業は「リアルタイム配信、オンデマンド型授業、資料・動画配信などを使い分けてくれた」「学生同士が意見交換できる交流時間や掲示板があった」「教員の回答やフィードバックがあった」というものでした。つまりコミュニケーション濃度を上げた授業が肯定的に評価されています。

 そこから考えると、大学の教室とは何だったのでしょうか。必要なのが相互のコミュニケーションならば、多くの学生が一斉に授業を受けることを前提に教具を固定した大教室でよかったのか。可動式の教具や、オープンスペースが必要になってきています。

 また、大学にとって時間とは何でしょう。教員の1週間の労働時間に由来する授業時間、そこから計算された授業回数を基礎として単位が成り立っています。これは考えてみると、教える側の管理基準です。オンデマンド型授業が普及してくれば、この考え方は崩れ去ります。学生がオンライン授業に最もメリットを感じたのも、「自分の時間配分で学習できた」ということでした。大学の時間は学ぶ側の基準に移っていく必要があります。学生と教員が一緒に達成目標を作り、単位を授与する仕組みを考えなければなりません。

 これからは何を大切にすべきでしょうか。今回のテーマ「多読・会読・連読」はその手がかりになります。多読はたくさん読むこと、会読は言葉の意味を納得した上で学友たちと議論すること、連読は読んだものを次々に受け渡しながらさらに展開することです。

 コロナの時代がきて、言葉の貧しさが極めて目立ってきています。オンライン上には映像や音楽など、言葉を埋める方法がどんどん出てきていますが、やはり核となるのは言葉です。これからは身体的な表現まで込めてしまえるような言葉の深化がないと、質の高い対話が成り立たなくなる。言葉を育てていく力がさらに必要になってくると考えています。

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 たなか・ゆうこ 1952年生まれ、神奈川県出身。法政大学文学部卒業。2003年同大学社会学部教授、12年同学部長を経て、14年から現職。専門は江戸時代の文学・生活文化で「江戸百夢」「布のちから」など著書多数。

 ■プレゼンテーション 「読む」ことの深さ、本を引き寄せる試み 編集工学研究所長・イシス編集学校長、松岡正剛さん

 読むとはどういうことなのか。実は難しく、脳科学的にも認知科学的にもしっかり研究している人は少ない。見るとか目で追っていることとはどう違うのか、なぜ1行2行というデザインになったのか……。複合的に見なければいけない大テーマなのです。

 読む社会の歴史を振り返ると、半分以上が音読でした。これは、吐くときに声を乗せるという人間の呼吸に関係があるのかもしれません。かつての音読社会では、声を出して言葉を書き写していました。

 それが15世紀のグーテンベルクの活版印刷以来、黙読によって想像力がぐらぐら動く読み方が始まり、世界中の何千何万という人が一斉に同じ本を読める「同時多読社会」が成立します。さらに、国の言語や作家の個性が意識されるようになり、一歩踏み込んだ読み方も出てきました。

 そのように歴史を追いかければ、読むということに色々な推理はできるのですが、その全ては見えてきません。

 ただ、読むためには本がなければならない。私は図書館や本屋がどうなればよいかと20年ほど前から考え、例えば食品や日用品とともに本が置かれる実験など、様々な試みをしてきました。

 今年11月に本格オープンして館長になった「角川武蔵野ミュージアム」は、図書スペースの本棚が凸凹しています。看板が下がっていたり、途中にテラスのようなものがあったり、本を背置きでなく横置きにして手を伸ばさずにいられなくしたり。街中でおいしそうなラーメン屋を認知するように、本は並ぶべきだと思う。人にもうちょっと、本を寄せたいのです。

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 まつおか・せいごう 1944年生まれ、京都府出身。87年に編集工学研究所を設立。歴史・科学・文化をつなぐ研究に従事。2000年から読書案内「千夜千冊」をネット上で開始。20年開館の「角川武蔵野ミュージアム」(埼玉県所沢市)の館長に。

 ■プレゼンテーション モノを介し、学びの場に多様な世界を 建築家・東京大学特別教授、隈研吾さん

 モノと本や情報が混然一体となれば、我々の学びはもっと多様化するのではないでしょうか。私自身の建築の学びで紹介します。静岡・熱海のがけの上に設計した「水/ガラス」(1995年)。建築家ブルーノ・タウトが設計した旧日向別邸の隣にあります。タウトは著作の中で、桂離宮(京都市)の竹の生け垣は、垣根であるのに生きた竹林そのものであるという両義性を指摘しました。自然と建築との連続性。そんなタウトの見方を読み下し、自分の建築にいかしました。

 竹というモノに色々な読み込みをしたのが、中国の万里の長城の近くにデザインした「竹の家」(2002年)でした。竹林の七賢の話を読んだ背景もあり、建物全てを竹という中国らしいモノでつくる発想につながっています。映画監督の張芸謀(チャンイーモウ)さんが茶のスペースを気に入り、ここで北京五輪のCMを撮影してくれて世界に拡散しました。

 モノからスタートし、その背後に色々な読解や技術を組み合わせて一つの世界につなげていく。その醍醐(だいご)味を何とか学びの場に持ち込めないかと考えています。これをファブリケーション(ものづくり)の教育と仮に呼んでいます。

 例を挙げると、イタリアのミュージアムから避難住宅をつくるテーマが与えられたとき、傘15個を組み合わせ、学生15人の生活空間をつくるプロジェクトを実現しました。

 モノを媒介にして、学生が深くて多様なコミュニケーションをつくり、それをもとにして世の中に出る。そんなファブリケーション教育は、コロナ後に非常に大きな意味をもつでしょう。

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 くま・けんご 1954年生まれ、神奈川県出身。90年に隈研吾建築都市設計事務所設立。慶応義塾大学教授、東京大学教授を経て、東京大学特別教授・名誉教授。国内外で多数のプロジェクトが進行中。国立競技場の設計にも携わった。

 ■パネルディスカッション

 パネルディスカッションでは3人が登壇し、フォーラムのテーマに沿って、ポストコロナ時代の新しい大学像を探った。(進行は一色清・朝日新聞社教育コーディネーター)

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 ――「読む」ことは今回のテーマの一つです。学生たちが学びとしての読書を習慣付けるときに、どんな工夫が必要でしょうか。

 松岡 読むことの最大の特徴は、セレクション(選択)だと思っています。あるものを選び、捨て、自由に組み合わせる。そこまでが「読む」こと。だから、読む本を1冊だけ選ぶのは駄目です。例えば体を鍛えたいとき、一つのエクササイズでは無理ですよね。食事、生活リズム、筋トレなどが同時に必要になるように、本も3~7冊くらいを一緒に読む癖をつけるのです。パソコンのマルチウィンドーでする情報処理と同じです。

 多読にはどんな方法があるか。ネット上の学校で「多読ジム」というのを展開していますが、まず3冊、次にまた3冊と指定していきます。そこには何かがリンクされている。ユーザーの嗜好(しこう)を推論する協調フィルタリングによって、ネットで次々と買い物をするような感覚に近いでしょうか。多読の秘密があるような気がします。

 隈 建築分野で推薦図書を挙げろというと、たいていは原論的な難しい本になります。学生はそれで興味をなくしてしまう。僕には建築以外の本にネタ元がありました。例えばアフリカの建築を研究したときは、梅棹忠夫の「サバンナの記録」とか、詩人のアルチュール・ランボーがアフリカに行った話とか、中村とうようが音楽雑誌で連載していたアフリカの民族音楽の話などを読んでいた。原論的な本を読まずにアフリカに飛び込んでいったわけです。

 田中 私が大学生のころに本を読み始めたのは、教師たちが良い本を何冊も教えてくれたからでした。江戸文学を研究するきっかけは、石川淳という作家が書いた評論でした。つまりそれらが「窓」になってくれたのです。本の面白さを伝えるのが教師や評論家の役割。面白いと言われ、読むきっかけができ、突然すごい世界が開かれるかもしれない。単位取得のための本ではなく、面白さをどれくらい伝えられるか。学生たちを引き込む力が教師にいるのです。

 ――本のデジタル化が進む一方、リアルな図書館を魅力的にする工夫はありますか。

 田中 大学の図書館は今、本の収納だけで精いっぱいな面もあります。しかし、専用室で複数の学生が課題を議論し、色々な本を使って共同作業をしてリポートを書くといったアクティブラーニング化も起こっています。コロナ禍で図書館が使えなくなると、職員と学生がネット上で本や読書会の紹介をどんどん発信していきました。そう考えると、デジタル化と図書館の空間の両方に、変化が必要かもしれません。

 隈 設計をした「角川武蔵野ミュージアム」では、違い棚に本をばさっと並ばせています。順位を付けながらも、その順位を横断するような対角線的な動きが入っている構造です。発想次第で、本の世界が魅力的に見えてきます。

 松岡 おそらく出版社も書店も図書館も、「本は知的だ」と思い過ぎているのです。実際には、読んでためになる本の打率は3割以下かもしれません。でも、それでよいのです。直球もあり、カーブもある。基本のユニットが、違い棚のように切り替わっていくことが大切です。

 ――リモートが定着した後の理想的な大学空間とはどんなものでしょう。

 隈 学校の空間は世界的にどんどんリビングルーム化してきています。教室という単位に席が並んでいるのではなく、机も椅子も自分で自由に動かせるということが、これからの学校建築の基本です。

 その上でコロナ後の大きな流れとして見ると、人間が活動する場所は、箱の中の空間よりも、外部そのものへと比重が移っていくのではないでしょうか。人々の記憶に残るのは、やはり外部空間だからです。特に大学やキャンパスは、外部空間としてさまざまな活動をするための重要な場所になっていくでしょう。

 コロナによって都市の定義も変わります。オフィスがなくなれば働く人間もそこにいる必要がなくなりますし。しかし大学はコミュニケーションが生まれ、記憶に残る場所として、新しい都市に合った形に生まれ変わってほしい。

 ――大学のポジションは不動でいられるでしょうか。

 田中 シンボルや拠点としての大学はやはり重要です。そこに行けば探しているものや居場所がある。学びの時間も現在はだいたい18歳からの4年間ですが、これからは一生の中のどこかになってくるかもしれません。就職するための大学ではなくなります。コロナ禍で様々なことが見えてきましたが、じたばたせずに、今ある状態から最適なやり方を追求していった方がむしろ良いと思っています。

 ■論客3人、未来見据え 会議を終えて

 大物論客3人が、ポストコロナ時代の大学のあり方について論じ合った。田中優子総長の問題提起にあった「読むことが大事になる」ということについては松岡正剛さんが、「大学の空間の見直し」については隈研吾さんが中心になって議論をリードした。

 松岡さんは「1冊をじっくり読むという読み方ではなく、3冊くらいを1度に並行して読むほうが多様で自由な発想が生まれる」と言った。多読や連読とは、そういうことかと気づかされた。

 大学が都市に広大なキャンパスを構える必要はなくなるのではないか、という議論が一部にある。だが、隈さんは「オフィスは都市から出ていくと思うが、都市における大学の役割はこれまで以上に大きくなる」と話した。教室の仕切りや教室内の配置を自由にすることは進める必要があるが、キャンパスそのものはなくならないし、なくしてはいけないということだ。

 新型コロナの影響を受け、多くの大学はまだ右往左往しているのが実態だろう。そんな時に、ポストコロナ時代の大学のあり方をテーマにしたのは、先駆的だったと思う。議論をさらに深めてほしい。(一色清)

 <法政大学> 法律の専門教育を目的に1880年、東京・駿河台に開設された「東京法学社」が起源。1920年に法政大学となり、法学部と経済学部を置いた。現在、東京・市ケ谷、多摩、小金井キャンパスの15学部で2万8千人以上の学部生が学ぶ。長年の学術資源を結び付け、発信する拠点「HOSEIミュージアム」が今年開館した。

 ■朝日教育会議2020

 10の大学と朝日新聞社が協力し、様々な社会的課題について考える連続フォーラムです。「教育の力で未来を切りひらく」をテーマに、来場者や読者と課題を共有し、解決策を模索します。これまでに開催したフォーラムの情報や、内容をまとめた記事については、特設サイト(https://aef.asahi.com/2020/別ウインドウで開きます)をご覧ください。すべてのフォーラムで、インターネットによるライブ動画配信を行います。

 共催大学は次の通りです。共立女子大学、成蹊大学、拓殖大学、千葉工業大学、東海大学、東京理科大学、二松学舎大学、法政大学、立正大学、早稲田大学(50音順)

 ※本紙面は、ライブ動画配信をもとに再構成しました。

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