(社説)「選択の年」の政治 国民との回路 結び直さねば

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 新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めをかけるため、普段にも増して国民に理解と協力を求めねばならない局面だというのに、人びとの政府への信頼感が低下しているという。

 対策への評価だけが理由ではあるまい。説明責任を軽んじ、強権的な政治を続けるうちに、政権が国民に向き合う姿勢を忘れ、世論との乖離(かいり)が広がったことも一因に違いない。

 ■オンラインの可能性

 コロナ禍の影響は、職業や働き方、地域などによってさまざまである。それぞれの不安や困難に的確に対応するには、きめ細かく民意をくみとる政治の営みが欠かせない。

 この機会に住民とのつながりを結び直さねば――。そんな動きが、コロナ対策の最前線に立つ地域の現場で芽吹いている。

 「#墨田区マスクプロジェクト」というハッシュタグが昨年春、ツイッター上を駆けめぐった。「マスクが手に入らない」という区民の訴えを聞いた東京都墨田区の佐藤篤区議が、「区民がつくり、区民が使う」布マスク計画を呼びかけたのだ。

 区内のメリヤス業者3社が製造に手を挙げ、区内の飲食店や自治会などが販売に手を貸した。政府が音頭をとった全世帯への布マスク配布が滞るなか、地域の声を政治家が素早くすくい上げ、自発的な市民の協力の広がりが現実を動かした。

 区議3期目の35歳、日頃からSNSの活用に積極的な佐藤氏はいう。「昔ながらの動員ではない。サイレント・マジョリティー(声なき多数派)とつながることができた」

 議会のオンライン化を通じて、住民と議会や行政との距離を縮めようという試みもある。

 福島県磐梯町は昨年6月、タブレット端末を使った委員会審議の実証実験を始めた。昨年末には、災害の発生や感染症の蔓延(まんえん)などの非常時に限り、オンラインで委員会を開催できるよう条例を改正した。

 佐藤淳一町長は住民との対話にも情報通信技術を活用したい考えだ。「オンラインで情報を公開・共有し、住民一人一人の状況に応じた行政への一歩としたい」。地方議員のなり手不足が深刻化するなか、子育て中の親や障害を抱える人たちも参加しやすい仕組みが整えば、より多様な住民の意思を議会に反映させる力となるはずだ。

 ■「対話」に欠けた政権

 一方、国政に目を転じると、この間、際だったのは、安倍・菅政権の国民との根深いコミュニケーション不全であった。

 唐突な全国一斉休校の要請、「Go To トラベル」事業の見切り発車と一斉停止……。振り回される国民への配慮が欠けていただけではない。専門家らの衆知を結集することなく、首相官邸の一部による独善的な判断が混乱に拍車をかけた。

 そして、「国民の不安はパッと消える」と始めた布マスクの配布、安倍前首相が自宅でくつろぐ動画でステイホームを呼びかけたSNSへの投稿、政府が注意を呼びかけているさなかの菅首相による大人数での会食への参加……。いずれも、国民の目にどう映るのか想像が及ばない、政権の鈍感さを象徴する出来事だった。

 内閣支持率の急落に慌ててか、菅首相は昨年末になって、メディアへの出演を増やしたり、年末年始に向けた異例の記者会見を開いたりと、発信の強化に乗り出した。しかし、緊急事態宣言の検討を表明した一昨日の会見はわずか30分で打ち切られた。どこまで丁寧に国民に向き合おうとしているのか、今後の言動で見極めるしかない。

 ■問われる参加と責任

 一方で、国民の側の政治に対する姿勢も問われよう。

 昨年の通常国会で、検察幹部の定年延長を政府の判断で可能にする検察庁法の改正が見送られた。1人の女性のツイッターへの投稿から広がった抗議の輪が政権に方針転換を迫った。

 一昨年末に決まった大学入学共通テストへの記述式問題の導入見送りも、記者会見を開いて中止を訴えた高校生を始めとする受験生や保護者らの批判に押された結果だ。

 世論が常に政治を動かすとは限らないが、声を上げねば始まらない。選挙で代表者を選ぶことだけが政治参加ではない。

 「民主主義とは何か」。宇野重規東大教授が古代ギリシャから歴史を振り返りつつ、危機に直面する現代の民主主義の将来を考えた著書のタイトルだ。

 宇野氏は民主主義を「参加と責任のシステム」としてとらえる。人びとが社会問題の解決に参加し、政治権力の責任を厳しく問い直すことが不可欠だと考えるからだ。そして、政治的決定に伴う責任は、指導者が負うだけではなく、人びともまた分かち合うものだと指摘する。

 今年は10月に衆院議員の任期が切れるため、必ず総選挙が行われる「選択の年」である。コロナ禍で露呈した政治と国民との回路の目詰まりをただす機会とできるか、政治家と国民、双方の責任は重い。

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