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 国籍とは何か。国境を越えて多くの人が活動する時代に、これまでと同じとらえ方のままでよいのか。そんなことを考えさせる裁判が進行中だ。

 問題になっているのは、「自己の志望で外国籍を取得したときは日本の国籍を失う」とする国籍法11条だ。明治期の旧法から続く定めで、本人の意思にかかわりなく国籍を剥奪(はくだつ)される。

 欧州に住む8人が、この規定は個人の尊重などを保障した憲法に反すると訴えた裁判で、東京地裁は先月、請求を退けた。国民の要件をどう定めるかは国会に幅広い裁量権があり、重国籍を防止する立法目的には合理性があると判断した。

 原告側は控訴しており、この合憲判決で一件落着という話にはならない。外国に生活拠点を置く人たちの切実な訴えは、現行法の矛盾をあぶり出す。

 例えば原告の一人はスイス在住で、経営する会社が現地で入札に参加するには国籍が必要とされた。他にも不動産の購入や公の仕事への参画など、生計を維持し、あるいは活動を広げるために居住国の国籍が要求される局面はしばしばある。

 だが取得に踏み切れば、その人のアイデンティティーを形づくってきた日本国籍を失う。将来、親の介護や転職などで日本に戻ると「外国人」として扱われ、今度は故国で様々な障壁に立ち向かわねばならない。

 たしかに従来は、重国籍を認めると国民としての権利や義務が錯綜(さくそう)して混乱を招くとして、国籍は一つに限るべきだとする考えが支配的だった。しかし国際的な人の流れの広がりとともに変化し、国連によると条件付きを含め7割以上の国が重国籍を認めている。条約を結んで社会保障の権利や兵役義務を調整している例も見られる。

 日本に重国籍者がいないかというとそんなことはない。出生や結婚によって外国籍を取得した場合には重国籍が認められる。一定期間内にいずれかの国籍を選ぶことになってはいるが訓示規定にとどまり、法相が選択を「催告」できるとする条文も実際に発動された例はない。無理強いすることで本人や家族を追い詰め、悪影響が及ぶのを懸念してのことだ。

 自発的に外国籍を得た場合の均一的、機械的な処遇との差は大きい。外国に住む間はその地の国籍の保持を認め、後に選択の機会を与えるなど、時代に合わせた制度・運用を検討するべきではないか。

 世界中のどこに足場があろうが、各人の生き方が尊重され、権利が最大限守られる。不都合があるなら、それを解消するために知恵を絞り、手当てする。めざすのはそんな社会だ。

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