(声)語りつぐ戦争 遺体を足蹴、たしなめた日本兵

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 無職 田原幸夫(福岡県 89)

 1944(昭和19)年、旧制中学1年の私は母と台湾の基隆(キールン)に住んでいた。水産会社船長の父は日本に出張したまま戻れなくなっていた。軍港のある基隆は空襲が増え、警戒警報のたび町の四つ角に据えたドラム缶で青草を燃やした。煙幕で町を隠すという。その草刈りは中学生…

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