(社説)孔子廟判決 政教分離の意義を胸に

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 儒教の祖である孔子を祭る「孔子廟(びょう)」の敷地を那覇市が無償で使わせるのは、憲法政教分離原則に違反すると、最高裁大法廷が判断した。

 憲法は「国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」と定める。目的は、国家と宗教の分離を制度として保障し、一人ひとりの信教の自由を守ることにあるとされる。

 政府や自治体が宗教性のある施設などに対し、安易に便宜や恩恵を与えるのは、厳に慎まなければならない。判決はこの基本姿勢を明確に打ち出したものであり、評価したい。

 問題になったのは、市が管理する都市公園内に8年前に開設された「久米至聖(くめしせい)廟」だ。市は観光資源などとしての意義を認め、年間約570万円の敷地使用料を免除してきた。

 難しいのは、国家と宗教との関わり合いには様々な形態があり、どの程度であれば「信教の自由の確保」という本来の目的に照らして許されるのか、簡単には線を引けないことだ。

 これについて判決は、過去の判例を踏まえ、施設の性格、使用料が免除された経緯、恩恵の程度、一般人の評価などを考慮して、総合的に判断すべきだとする考え方の枠組みを示した。

 そのうえで、施設の外観、行われている儀式の内容、歴史的な経緯、免除額などを一つひとつ検討し、「一般人の目から見て、市が特定の宗教を援助していると評価されてもやむを得ない」と結論づけた。

 政教分離憲法に規定された背景には、戦前の日本が神道を事実上の国教として優遇・利用したことへの反省がある。信仰の強要や他宗教の弾圧が繰り返され、ついに敗戦に至った。

 こうした歴史から、神社や神道との関連が問われる事例が多かったが、他の宗教的活動にも同様のけじめが求められるのは言うまでもない。公の機関は判決の趣旨を理解し、いま正すべき点がないかを点検するとともに、今後仕事に取り組む際も常に念頭に置く必要がある。

 宗教由来の施設や行事が地域に溶け込み、生活の一部になっている例は多々ある。司法も一切の関与を否定しているわけではない。だが信教の自由は人の内面に深く関わる問題であり、多数者の価値観を押しつけると大きく道を誤ることになる。

 現職閣僚らによる靖国神社への参拝など、国家と宗教の関係に疑義を抱かせる行いは後を絶たない。靖国というと近隣諸国への配慮の観点から語られることが多いが、問題の根本には多くの犠牲のうえに手にした憲法上の要請がある。今回の判決を機に、政教分離原則の意義を改めて胸に刻む必要がある。

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