(社説)若者の力と社会課題 大震災後の潮流を育みたい

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 10年前の東日本大震災では被災者に宛てた義援金が多く寄せられ、「寄付元年」と呼ばれるようになった。1995年の阪神・淡路大震災で大勢の人が被災地に駆けつけた「ボランティア元年」に次ぐ現象だった。

 その東日本大震災は、もう一つ、いまに連なる変化が顕著になった節目でもある。

 日々の生活で抱える様々な問題は、災害など非常時に深刻さを増す。課題に直面する人たちへの支援を行政任せにせず、自らかかわりたい。そんな思いを持ち、実際に動く人が目立ち始めた。

 特に注目されるのが、若い世代の意識と行動だ。

災害からコロナ禍へ

 博祈(ひろき)さん(12)は香川県小豆島で母親(54)と暮らす。母が障がいに伴い受け取る月11万円の年金が頼みだ。小学校は不登校ぎみで、母が1年半前に体調を崩して以降、ほとんど勉強ができずにいた。

 そんな二人に昨年10月、認定NPO法人のカタリバからオンライン学習用のパソコンが届いた。博祈さんは岐阜県鹿児島県に住むチューターの助言で勉強を再開。全国に友だちもでき、よく笑い、楽しげに話し、生物学者になる夢もできた。

 カタリバは昨年、コロナ禍で家計が苦しくなるなど困窮した家庭の子どもを対象に、オンライン学習を助ける事業を始めた。代表理事の今村久美さんが大学在学中に団体を立ち上げ、中高生向けに大学生らと語らう場作りを始めたのが20年前。大震災を機に困難な環境に置かれた子どもへの学習支援に乗り出し、被災地の宮城県女川町岩手県大槌町で「放課後学校」を運営してきた。

 親の経済力や、家庭の外の人とつながれる力の有無が子どもの成長を左右する。そう被災地で実感した。災害時は自治体や地域社会の支援だけでは足らず、ならばNPOがやるしかない。そんな「初志」が向かわせたコロナ下での学習支援には、2千人以上から3千万円余りが寄せられ、約400人にパソコンを届けることができた。

 大震災時に10人だったカタリバの常勤職員は、約130人に。昨年は20代を中心に1500人超からエントリーシートが寄せられたという。

多様になる支援金

 カタリバがこのとき集めたお金は、義援金と区別し、NPOなどの活動を後押しする支援金と呼ばれる。見返りなしのタイプから活動成果の一部を何らかの形で受け取るものまで、対象分野も多様な資金の提供・調達が、ネット取引の急拡大を追い風にすっかり定着した。

 クラウドファンディング(CF)と呼ばれるそうした手法の広がりを象徴するのが、大震災の直後に立ち上がり、CFの場を提供してきた「READYFOR(レディーフォー)」だ。

 「気軽に支援でき、お金の行き先がわかりやすい点が自分にあっている」。岩手県釜石市出身で東京都に住む会社員、三浦康幸さん(35)は大震災翌年の春、READYFORのサイトで仮設住宅の図書室に本を納める活動を見つけ、初めて3千円を送った。その後、低賃金のアニメーターの応援など災害支援以外の取り組みにも関心を広げ、累計で223件の活動に協力してきた。

 大震災関連の企画で10億円を集めたREADYFORは、10年間で計194億円を調達した。紹介してきた計1万8千近くの企画は、立案者、支援者ともに30~40歳代が中心だ。23歳でサービスを始め、今も代表を務める米良はるかさんは「自分の人生をどう使うかを考え、社会的な活動をする。そうした多くの若者に加え、さらに広い層に社会貢献の『楽しさ』が浸透してきた」と指摘する。

「場作り」をさらに

 今村さんや米良さんのような社会起業家に限らない。学校を出て既存の企業に就職する場合も、賃金や福利厚生だけでなく「社会に役立つ会社か」にこだわる人は多い。少子高齢化や低成長、日常が一瞬で壊れる大災害などによる閉塞(へいそく)感と不安の中でも、あきらめたり立ちすくんだりするのではなく、社会に貢献したいとの意識が広がる。

 そんな若者らに対し、カタリバの今村さんは「自分が属するコミュニティーの外に出よう」と呼びかける。決まった人とだけ接していると考え方が偏りかねない。社会のあちこちで「分断」が見られるだけに意識してほしい、とのメッセージだ。中高生を大学生と引き合わせ、親でも教師でも友人でもない「ナナメの関係」作りを始めたことにも通じる問題意識だろう。

 課題解決を目指す起業や企業を増やすには、時代遅れの規制の改革、個々のプロジェクト・企業の情報公開を通じた信頼性の向上、民間の力を生かす行政側の意識改革などがカギになる。それらに加え、一人ひとりの思いを育み、確かな潮流としていくための場を増やすことも、地域社会や教育に求められる重要なテーマである。

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