(社説)高校教科書 多様な視点 育む検定に

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 高度情報化にグローバル化、さらに感染症の蔓延(まんえん)も加わり、将来の日本、そして世界の姿を見通すのは容易ではない。

 来年春から実施される高校の学習指導要領は、そうした時代状況を背景に、多様な人々と協働しながら変化を乗り越え、持続可能な社会の「創り手」となる人材を育てることを、教育の目標にかかげている。

 ところが、きのう文部科学省が発表した高校教科書の検定内容は、この理念と現実との乖離(かいり)を浮かびあがらせた。領土問題を中心に、政府見解に基づく記述にするよう書き直しを迫る検定意見が目につく一方で、相手方の主張に関する記述がないことは問題にされなかった。

 政府見解の掲載自体を否定するものではない。しかし「多様な人々との協働」を図るには、その人々の考えや価値観を知る必要がある。違いを認識したうえで意見を交わし、理解を深め合う。センシティブな問題ほどそうした姿勢が求められよう。

 それなのに、検定意見は政府見解を教科書に載せることに躍起で、書かれさえすればそれで良しとする。そんな対応で明日の「創り手」を生み出すことができるのだろうか。

 今回の検定では、北方領土の現状をロシアが「実効支配」「事実上統治」しているとした元の記述に、「生徒が誤解するおそれがある」と意見がつき、「不法占拠」に書き直された。だが、ロシアがどう主張しているかの説明は、そこにはない。

 戦後補償関連では、旧植民地出身者の扱いや慰安婦の存在に触れ「未解決の問題が多い」と書いたのが不適切とされ、「政府は解決済みとしているが、問題は多い」になった。現場の教員には、残った「問題は多い」の5文字を手がかりに、丁寧な授業を期待したい。

 18歳の誕生日を迎えれば高校生も選挙権をもち、来春からは「成人」として扱われる。卒業後は進学、留学、就職などで、世代や国籍を超えた人たちとの付き合いが広がる。そこでつまずくことのないよう、物事を多面的・多角的に見る力とそれを支える知識を若い世代に伝えるのが、大人たちの使命だ。

 先日発表された大学入学共通テストの新教科「公共」のサンプル問題は示唆に富む。社会で合意を形成するやり方は一つでないことを示し、生徒がどんなやり方を選ぶかによって、後に続く設問の正解もすべて違ってくるという出題だった。

 この時代に私たちがめざすべきは、こうした教育ではないか。検定が特定の価値観を押しつける道具として使われ続ければ、結果として若い芽を摘み、国の力もそぐことになる。

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