(社説)五輪の可否 開催ありき 破綻あらわ

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 答弁を聞いて、いったいどれだけの人が納得しただろうか。わかったのは、滞りなく大会を開ける状況にはおよそないという厳然たる事実だ。

 おとといの衆参両院の予算委員会で、東京五輪・パラリンピックの開催の可否が大きな論点になった。ところが菅首相は、「主催者はIOC(国際オリンピック委員会)、IPC(国際パラリンピック委員会)、東京都、大会組織委員会」と、責任逃れとしか思えぬ発言を繰り返し、人々に届く言葉はついに発せられなかった。

 感染爆発と定義されるステージ4の状態でも開催するのか。来日する数万人規模の関係者の行動をどう制御するのか。市民の生命・健康に影響を及ぼさずに、いかにして大会用の医療体制を整えるのか。こうした当然の疑問に対しても、「安全安心な大会が実現できるよう全力を尽くす」と言うだけで、質疑は全くかみあわなかった。

 大会を感染拡大の場にさせないことは日本のみならず世界の要請だ。まともに答えない・答えられないその態度は、開催への疑義をさらに深めた。感染を抑え込むと約束し、そのつど失敗してきた政権である。知りたいのは首相の信念や願望ではなく、それを達成する方策・道筋なのに、説明責任を果たしていないこと甚だしい。

 ワクチン接種をめぐる問題も同様だ。IOCは先日、選手団にワクチンを無償提供することで米独の製薬企業と合意したと発表した。首相のいう安全安心にとってはプラス材料だろう。

 一方で突然の決定は、この状況下で選手を優先することが公正といえるか、国民はどう受け止めるか、両者の間に溝を生まないか、拒む自由は保証されるのか、といった疑問を引き起こした。しかし政府や組織委から聞こえてくるのは歓迎のコメントばかりで、それ以上の詳しい説明はなく、選手は困惑の渦の中に裸で放り出されたような状態になっている。「アスリートファースト」の底の浅さを露呈する話ではないか。

 他にも、外国の選手団を受け入れるホストタウンに手を挙げた自治体は、その準備と地域のコロナ対策との両立に悩み、海外に目を転じれば、渡航制限で五輪予選会への出場断念を余儀なくされた選手もいる。

 世界から人が集い、交流し、理解を深め合うという五輪の最も大切な意義を果たせないことが確実になるなか、それでもなぜ大会を開くのか。社説は明らかにするよう求めてきたが、政府からも主催者からも説得力のある発信は今もってない。

 「開催ありき」の姿勢が随所に不信と破綻(はたん)を生んでいる。

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