(社説)沖縄慰霊の日 76年なお続く傷の痛み

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 沖縄はきょう、慰霊の日を迎えた。第2次大戦末期の苛烈(かれつ)な地上戦で亡くなった人たちを悼み、恒久平和を祈る日だ。

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦は、今も人々の心の中に深い傷を残し、非戦の誓いのよりどころとなっている。

 ところが、そんな思いを踏みにじる事態が進む。

 辺野古の海の埋め立てを進める政府が、県に昨年提出した計画の中で、土砂の調達先に「沖縄本島南部」を加えたことが明らかになり、県民の怒りと反発が続いている。軟弱地盤の発覚に伴う計画変更で、当初は県外中心だった採取場所を見直したための措置だという。

 本島南部は最大の激戦地で、地中にはなお3千柱近くが眠ると推定される。それを掘り起こして、反対の民意が繰り返し表明されている米軍基地の建設に使おうとする無神経さに驚き、あきれる。県議会が今年4月、遺骨が入った土砂を埋め立てに使うことは「人道上許されない」とする意見書を、全会一致で可決したのは当然だ。

 政府も「遺骨の問題は大変重要」と述べてはいる。だが沖縄の苦難の歩みを知っていれば、そもそもこのような計画を示すことなどできないはずだ。

 ボランティアで遺骨収集を続ける具志堅隆松(たかまつ)さん(67)に、80代のある女性は亡くなった兄の遺骨がかえってきていないと嘆き、「死んだと聞いた場所が弔いの場」と話したという。多くの県民に通じる思いだろう。

 沖縄の復興は遺骨収集から始まったとも言われる。命をつないだ人たちは、身元のわからない骨も丁重に扱ってきた。

 沖縄戦の死者は米側1万2500人、日本側18万8100人で、うち6万5900人は他県出身の兵だ。2年前に見つかった遺骨はDNA型鑑定などで身元が判明し、この春、北海道の遺族のもとに届けられた。

 近年、歴史をないがしろにする政府の姿勢が顕著だ。今回の土砂調達に限らず、その積み重ねが沖縄との溝を深めてきた。

 例えば6年前、故翁長雄志知事は、辺野古問題の原点は米軍が土地を強制収用して普天間飛行場を造ったことにあり、県内移設を強行するのは政治の堕落だと訴えた。しかし当時の菅官房長官は「日本全国、皆が苦労して平和な国を築いた」と一般論にすり替え、反対運動を受けて本土にあった多くの米軍施設が占領下の沖縄に移され、過重な負担を強いてきた事実に向き合おうとしなかった。

 コロナ禍のため、きょうの追悼式典の参加者は30人ほどに絞られる。それとは比較にならない数の人々の、76年に及ぶ悲しみと苦しみに思いを致す。

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