(社説)「不自由」展 暴力に屈することなく

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 「表現の不自由展・その後」をめぐり、許し難い蛮行と評価すべき動きの二つが続いた。

 2年前のあいちトリエンナーレで展示が一時中止になった作品を集めた展覧会だ。各地を巡回する計画が進むが、さまざまな困難に直面している。

 表現の自由とは何か。それが侵されたとき、社会はどうなるか。一人ひとりがいま一度考えを深める機会にしたい。

 「蛮行」は名古屋で起きた。

 開会して3日目のおととい、会場の市施設に届いた郵便物を開くと破裂音がした。爆竹が仕掛けられたとみられ、展示の中止を求める趣旨の文書があった。けが人はなかったが市は臨時休館を決め、11日までの会期は事実上打ち切りとなった。

 職員が不審に思い、警備中の警察に相談してから開封したという。もう一段の警戒をすれば騒ぎは防げたのではないかとの思いはある。だが言うまでもなく糾弾されるべきは、暴力的な行為に及んだ送り主だ。

 展示作品を批判する自由はもちろんある。しかし表現には表現、言論には言論で対抗するのが鉄則ではないか。

 こうした卑劣な行いがまかり通れば、多様な意見や多様な芸術に触れ、自由に議論を交わすことによって成り立つ民主主義は、土台から崩壊してしまう。愛知県警は威力業務妨害の疑いで捜査を始めた。被疑者の検挙に全力を尽くしてもらいたい。

 一方の評価すべき動きは16日に展示が始まる大阪であった。

 会場となった府の施設が、街宣車による抗議活動などを理由に「安全の確保が困難」として利用承認を取り消す事態になっていたが、大阪地裁はきのう、これを覆す決定をした。

 地裁は、集会の自由や表現の自由の大切さを説いたうえで、「施設側が利用を拒めるのは、警察の適切な警備などによってもなお混乱を防げないなど特別な事情がある場合に限られる」と指摘。名古屋の事件にも触れつつ、大阪展について具体的な危険性があるとまでは言えないと結論づけた。同様のケースで最高裁が示した考えを踏まえ、説得力に富む内容だ。

 施設側は上訴する構えだが、自由な展示を保証するために何をすべきか熟考してほしい。

 不自由展は東京の民間ギャラリーでも予定されたが、所有者がトラブルを恐れて取りやめ・延期になった。そんな風潮のいまだからこそ、公共施設の価値が問われる。名古屋市も、休館措置によって問題をうやむやにしては将来に禍根を残す。

 民主社会を守る側に立つか、結果として壊す側に手を貸すか。「公」が担うべき役割は何か。自治体の姿勢が問われる。