(社説)無観客五輪 専門知、軽視の果てに

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 東京五輪は、メインとなる1都3県の会場を無観客にして実施されることになった。都への4度目の緊急事態宣言を受け、おととい夜、国際オリンピック委員会(IOC)や国などによる5者協議を経て決まった。

 感染拡大の懸念に応えた措置のように見える。だが宣言の発出は、政府が「国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある事態」が起きたと認定したことを意味する。そんな危機の中でなお、巨大イベントを強行しようとしていることに変わりない。健康より五輪を優先する理由などどこにもない。

 菅首相はこの間、「決めるのはIOCだ」と言って、開催の是非や意義を問う声をかわす一方、G7で支持をとりつけるなどして既成事実を積み重ねてきた。パンデミック下での五輪という「普通はない」(尾身茂・政府分科会会長)ことに突き進むのであれば、その責任の全てを政府が引き受けなければならない。開催都市の首長である小池百合子都知事も同様だ。

 今後、感染状況がさらに悪化して医療が逼迫(ひっぱく)し、人の命が脅かされるようなことになれば、聖火がともった後でも中断や中止に踏み切る。それだけの覚悟を固めておく必要がある。

 感染症の専門家たちは、どうしても開催するのなら「無観客が望ましい」と提言していた。にもかかわらず5者協議は先月21日、「定員の50%以内、上限1万人」まで観客を入れる方針を確認。社説は「科学置き去りの独善だ」と批判した。

 福島県内などの一部の競技場はこの「50%、1万人」を維持する。無観客の会場にも増して安心安全の確保が課題になる。

 前回の5者協議以降、スタッフはチケットの再抽選の準備に追われ、周辺3県は、県内で行われる競技が深夜に及ぶ場合に備えて、観客対応の検討や各種の調整を迫られた。こうした作業は全て意味がなくなった。他にも、大会ボランティア、チケット購入者、宿泊施設、鉄道事業者など、振り回された人たちを数えればきりがない。

 何より問題なのは、そのボランティアや警備・輸送の体制も再構築を迫られ、運営が文字通りぶっつけ本番になることだ。

 五輪のためといえば無理も通り、誰もが付き従うものだという考えが、この混乱を招いたといえよう。5者は、自分たちの不見識が大会への不信をますます深めたと認識すべきだ。

 パラリンピックには選手の健康管理をはじめとして、五輪とはまた違った開催の難しさがある。これにどう臨むか。確かなのは、五輪と同じことを繰り返しては、人々の理解と支持は得られないということだ。

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