(社説)小山田氏辞任 五輪理念ますます遠く

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 東京五輪パラリンピックの開会式で、楽曲の作曲を担当するはずだった小山田圭吾氏が辞任した。用意していた曲も使用されないことになった。

 大会組織委員会のガバナンス能力の欠如は目を覆うばかりだ。開幕直前の迷走で五輪のイメージはさらに深く傷ついた。

 14日に組織委が小山田氏の起用を発表した直後から、氏が95年前後に雑誌のインタビューなどで、障害者や同級生をいじめた体験を語っていたことに注目が集まった。それは虐待や暴行と呼ぶべき行いだった。

 昔の話、あるいは若気の至りで済ませるわけにはいかない。当時の記事中にも、その後の氏の言動にも、反省や悔悟の念を感じさせるものはなく、本人も16日に明らかにした文書で「経緯の説明や謝罪をしてこなかった」と認めている。

 人間の尊厳を重んじ、あらゆる差別の否定を掲げる五輪の式典に、こうした人物が関わることがふさわしいとは思えない。障害者と家族でつくるグループなどが、今回の人選に批判の声をあげたのは当然だ。

 およそ理解できないのは組織委の行動である。

 問題が発覚した後、過去の小山田氏の発言を「不適切」としながらも、「現在は高い倫理観を持って創作活動に献身するクリエーター」と擁護し、続投させる意向を表明した。

 結局、加藤官房長官から「適切に対応を」と求められるなどして方針転換したが、開会式が間近に迫っていることを理由に「許されるかなと考えた」(武藤敏郎事務総長)という言い訳には、あきれるほかない。円滑な運営がすべてで、五輪の理念など眼中にないことを国の内外に示した形となった。

 そもそも式典の趣旨をどう理解し、だれが、何を期待して小山田氏に白羽の矢を立てたのか。過去の氏の言動を、組織委としてなぜチェックしなかったのか。続投から一転しての辞意表明、その受け入れまで、いつ、だれが、どんな理由に基づき、何を判断したのか――。わからないことばかりだ。

 開閉会式をめぐっては、当初の演出チームの解散が突然発表されたり、その後のプランを統括した担当者が、女性の容姿を侮蔑するアイデアを示して辞任したりと、混乱が続いてきた。これらの時も人々が納得できる説明はなく、責任の所在もあいまいにされたままだった。

 事態を統御できず、説明責任を果たさない組織委のもと、きょうから一部の競技が始まる。

 混迷と不信と不安と。まさかこんな悲惨な状況で迎えるとは予想もしなかった「平和の祭典」の幕開けである。

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