(社説)入管の報告書 人権意識を問い直せ

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 どこの国の人でも、そしてその人がたとえ正規の在留資格をもっていなくても、生命と人権を重んじ、守る。この原則がゆるがせになっていたと言わざるを得ない。

 名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが3月に病死した問題で、入管庁が最終報告をまとめた。

 内容に立ち入る前に指摘しておかねばならないのは、途中から外部の有識者も関与したとはいえ、調査が同庁の職員主導で進められたことのおかしさだ。本来、第三者機関を設けて精査を仰ぐべき事案だ。そもそも組織として事態の深刻さを認識していなかった証左といえる。

 それでも報告からは、体調不良を訴えるウィシュマさんの声を受け流し、「収容ありき」の考えのもと、最悪の結果を招いた経緯がみてとれる。貧弱な医療体制、被収容者と意思の疎通を図る能力の欠如、役所内の部門間の連携不足など、さまざまな欠陥が指摘された。

 暗然とするのは現場の職員の振る舞いだ。施設の外に出たくて病状を誇張していると考え、苦しむ本人をからかう発言をしていたとの記述もある。改善策の筆頭に「全職員の意識改革」が掲げられたのは当然だ。

 他にも、今後に生かすべき教訓は少なくない。

 ウィシュマさんが収容されたきっかけは、同居男性から暴力を受け、警察に出頭したことだった。ところが、DV被害が考えられる場合は職員が聴き取りをして事実関係を確認するという内規は、無視された。

 「外部の目」も機能しなかった。収容の実態をチェックする目的で、学識経験者らによる視察委員会が設けられている。ウィシュマさんはここに救済を求める手紙を出していたが、5週間以上放置され、開封されたのは亡くなった後だった。

 せっかくの委員会もこれでは存在する意味がない。メンバーは自分たちの問題ととらえ、運営のあり方や当局との関係を根本から見直すべきだ。

 入管庁は、亡くなる前のウィシュマさんの映像を遺族に開示することを決めた。警備上支障があるとして拒んできたが、その秘密主義は人々の理解を得られるものでは到底なかった。これについても猛省が必要だ。

 会見した佐々木聖子(しょうこ)長官は、名古屋入管にとどまらず「今日の入管行政の問題が発現した」との認識を示した。先の通常国会で収容・送還に関する入管法改正案が事実上の廃案になったのも、国民の不信ゆえだ。その払拭(ふっしょく)に向けて、人権保障に軸足を置いた新しいルールづくりを急がなければならない。