(社説)コロナと科学者 強靱な社会づくりの対話を

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 コロナ禍の今ほど、科学の存在と価値を身近に感じた時はなかったのではないだろうか。

 見えないウイルスから身を守るには、科学の知見にもとづく水先案内を頼るほかない。

 ただし、感染をめぐるリスク評価と、集団の行動規制のバランスをどうとるかを考えるうえでは、科学と社会の不断の対話が欠かせない。その両者の接点に立ち、全体の調整役を担う政治の責任は極めて重い。

 科学と社会の関係は、どうあるべきか。政治と科学のそれぞれの従事者が心すべき原則は何か。つねに考えておきたい。

 ■記録を残して検証を

 科学者を意味する「サイエンティスト」という単語が、英語で初めて使われたのは19世紀半ばだったそうだ(村上陽一郎著『科学者とは何か』)。

 万有引力の法則を発見したニュートン(1642~1727)も、「それでも地球は回っている」と天動説を否定したガリレオ(1564~1642)も、存命中に科学者と呼ばれることはなかったらしい。

 専門的・職業的に科学に取り組む人を呼ぶ言葉ができて200年弱。真理の探究は時に権威との緊張も生んできたが、それは今にも通じる話のようだ。

 コロナ禍が科学と政治の微妙な関係をあぶり出している。

 科学者は研究に基づいて選択肢を示し、政治が判断を下す。そんな大まかな仕分けはあっても線引きは明確ではない。

 5月、北海道の「まん延防止等重点措置」を据え置こうとするなどの政府提案に対し、専門家らから異論が噴出した。政府がこれを受け入れ、緊急事態宣言に変えた経緯は「異例」と報じられた。

 6月には東京五輪をめぐり政府分科会の専門家たちが、「有志」の肩書で無観客開催の提言をした。前向きな評価とともに疑問の声も相次いだ。選択肢に開催中止がなかったことに加え、なぜ分科会としてではなく有志なのかが論議を呼んだ。

 ■ご都合主義の危うさ

 これまでのコロナ禍での科学の発信と政治の判断の間には、どんな連関があったのか。科学者の選択肢に圧力や自己規制はなかったか。政治は何を採用し、何を却下してきたのか。

 肝要なのは情報公開だ。詳細に記録を残し、誰もがいつでも検証できるようにするべきだ。それが現在と後世の感染症問題で重要な役割を果たす。

 科学に対する、これまでの政治の接し方は何とも危うい。

 五輪をめぐる提言を、閣僚が事前に「自主的な研究発表」と切り捨てたのは記憶に新しい。専門家に相談せず、入院制限をめぐる方針を変えたり、全国一斉休校を決めたりしてきた。

 政治家が社会全体の利害を見渡し、専門家の言うリスクと、その対策に伴う影響を比較考量するのは当然だ。

 しかし、自らの政治的得点のために、科学を利用するご都合主義では理解は得られない。ましてや専門家に責任を転嫁するようでは倫理にもとる。

 歴史を見れば、科学は政治に翻弄(ほんろう)されてきた。

 第2次大戦で、米国の科学者たちは核兵器開発にかかわった一方、その一部はあまりの破壊力を憂い、原爆投下をやめるよう米大統領に書簡を送った。だが、それは顧みられることはなかった。

 日本の科学者たちも、戦争で軍に利用された苦い反省の上に戦後の研究をスタートさせた。日本学術会議問題での政府の強権的な対応が反発を招くのは、その歴史的な経緯ゆえだ。

 ■多様性を認める意義

 社会と科学との対話は、政治を介してではなく、多面的であることが健全な姿だろう。

 政治権力はしばしば科学研究に即効的な見返りを求める。

 だが、新型コロナワクチン開発に役立ったのは、40年に及ぶ不遇の研究成果だった。

 「周囲の声に振り回されず、自分ができることに集中してきた」。ファイザーやモデルナ製で採用された新技術の開発者カタリン・カリコ氏(66)は、NHKの番組でそう語った。

 米国の大学で彼女の仕事は評価されず予算もつかず、役職も降格された。その地道な研究がコロナで一転脚光を浴びた。

 科学研究の多様な裾野の広さが、未知の脅威に備える強靱(きょうじん)な社会をつくる。短期的な成果主義ではそれはかなわない。

 科学者の側も、もっと広く、積極的に社会にかかわるべきだとの声がある。7月に亡くなったノーベル賞受賞者の益川敏英さんもその一人だった。

 科学者は「自分の研究のことを考えている時が一番楽しい」。でも「それでは半人前の科学者であろうと思うのです」と書き残した。言葉どおり、憲法や平和の問題にまでも思考を広げ、行動する学者だった。

 コロナ禍で、科学者は十分に期待に応えてきたか。社会は科学に適切に向き合ってきたか。答えを出すのは難しいが、問い続けていきたい。科学者のたゆまぬ努力に敬意を表しつつ。

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