(社説)自衛隊機派遣 情報開示し徹底検証を

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 アフガニスタンにいる日本人と現地スタッフを救うため、持てる手段を最大限に活用するのは当然である。しかし、結果的に、多くのアフガン人を残したまま、自衛隊を撤収せざるをえなくなったことは、極めて残念であり、政府は重く受け止めるべきだ。

 派遣の判断に遅れはなかったか、空港への移動を支援する工夫は他になかったか。一連の経緯を徹底的に検証し、今後の教訓とする必要がある。同時に、国際社会とともにタリバンに働きかけるなど、残された人々の安全を確保し、希望者が出国できるよう、できる限りの努力を続けねばならない。

 政府は航空自衛隊の輸送機3機と政府専用機、隊員約300人を派遣。アフガンの首都カブールと隣国パキスタンの首都イスラマバードの間をピストン輸送する態勢をとったが、運べたのは日本人1人と、米国から要請を受けたアフガン人14人の計15人にとどまった。

 日本大使館国際協力機構JICA)の現地スタッフとその家族ら約500人を脱出させることはできなかった。タリバンの厳しい監視下、空港にたどりつけなかったとみられる。170人超が犠牲となった大規模な爆破テロが空港近くで起きたことも移動を阻んだ。

 政府が自衛隊機派遣を決めたのは23日。アフガンの政権崩壊から8日がたっていた。米軍の撤退期限や現地の治安悪化もあり、活動できたのは実質2日間だけ。輸送の安全確認が派遣の前提条件とはいえ、もっと早い見極めはできなかったのか。

 政府は当初、現地スタッフは民間機で退避させる方針だったという。しかし、民間機の運航が止まったことなどから、自衛隊機の派遣に転じた。政治判断が遅れたと言われてもやむをえまい。

 諸外国の中には、アフガン市民の空港への移動に成功した事例もある。つぶさに分析し、反省材料とすべきだ。

 政権崩壊の2日後に、在留邦人の保護を使命とする日本大使館の日本人館員12人全員が、英国軍機で出国した判断も問われる。少数とはいえ、国内にはまだとどまる日本人がいた。後に残した現地スタッフの安全確保はどこまで考えていたのか。当時、茂木敏充外相は中東歴訪の途上にあり、岡田隆大使はアフガン国内にはいなかった。こうしたことが政府の判断に影響しなかったのかも検証が必要だ。

 政府は活動に支障がでるなどの理由から、これまでの経緯をほとんど明らかにしていない。「不都合な事実」を含めた情報の開示がなければ、正しい教訓は得られないと知るべきだ。