(社説)パラ大会閉幕 将来に何をどう残すか

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 東京パラリンピックが終わった。コロナ禍で医療提供体制が深刻な機能不全に陥るなか強行された大会が、現場を支える人たちの努力によって、何とか大きな破綻(はたん)なく閉幕を迎えたことを、まずは喜びたい。

 障害の内容や程度は違っても、自らが秘めている能力に気づき、伸ばすことによって、新たな世界が開ける。13日間にわたる選手たちの躍動を通じて、人間のもつ可能性を肌で感じ取った人は多いだろう。

 一方で、頑張る姿に拍手を送ることが、その思いとは別に、頑張れない人への圧力や頑張ることの強制に転化することのないよう、留意しなければならないとの指摘も聞かれた。

 大切なのは、個性の尊重、多様性と調和、共生社会の実現といった理念を言葉だけに終わらせず、内容を咀嚼(そしゃく)し、血肉化することだ。東京大会の評価は、5年後、10年後、さらにその先の日本社会の姿を見て、初めて定まるのかもしれない。

 障害者スポーツへの理解が進んでいない国に対し、数年前から日本体育大学が指導者の育成などを支援するようになり、今回5カ国が初参加を果たした。これも「共生」の一環だろう。政府やスポーツ界は国内の環境整備はもちろん、こうした国境を超えた連携にも引き続き取り組んでもらいたい。

 パンデミック下での開催の是非が最大の焦点になった東京五輪・パラ大会だったが、他にも様々なテーマが浮上した。

 たとえば、競技スポーツの前提である公平性と人間の多様性との両立だ。生まれつき男性ホルモンが多い女性選手や、性別変更をした選手にどう対処するか。義足をつけた選手が五輪への出場を拒まれたことをめぐり、そもそもなぜ健常者と障害者とで大会を分けるのかという疑問も提起された。

 解にたどり着くのは容易ではない。だが既成概念にとらわれず、スポーツの魅力やそのあり方を追求し、深化・発展させることは、豊かな社会づくりへのヒントにもなる。

 選手のプレーに感動し、それをただ消費して終わるのではなく、次代につながる、まさにレガシー(遺産)を残すことに英知を集めねばならない。

 そのためにも不可欠なのが、招致段階を含む大会全体の徹底検証だ。政府、東京都、組織委員会がうやむやにしたままの問題は山積している。加えて競技施設の今後の利用方法や、巨額の赤字を都と国でどう負担し、都民、国民の理解を得るかなどの難題が待ち受ける。

 隠蔽(いんぺい)体質と決別し、開かれた議論をすることから「オリパラ後」の歩みを始めたい。