(社説)9・11後の世界 傷ついた自由の理念、再生を

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 「9・11」から、11日で20年を迎える。4機の旅客機が乗っ取られ、米国の中枢を襲った未曽有のテロ事件だった。3千人近くの貴い命が奪われた。

 事件を機に、当時の「唯一の超大国」は長い戦争の道に突き進んだ。その波動は世界の秩序を揺さぶり、20年後のいま、重苦しい光景をさらしている。

 それは戦争の「敗北」だけではない。決してテロに屈しないと誓ったはずの自由主義の理念までをも、自ら損ねてしまったという現実である。

 米国と国際社会は、あの痛ましい事件から何を学び、何を見失ったのか。この節目を熟考の機会とするべきだ。

 ■対話怠り、分断進む

 「世界で最も輝く自由と機会の国だから攻撃された」。事件当日、ブッシュ大統領はそう演説し、自由の闘いを唱えた。

 9日後、世界に選択を迫った。「我々と共にあるか、テロリストの側か」。敵か味方かに分ける二元論である。

 確かに、「イスラムは敵ではない」「宗教や民族への差別や憎悪は、米国の価値に反する」とも訴えてはいた。だが振り返れば、その戒めの誓約は置き去りにされた。

 イスラム地域でおびただしい人命を奪う力の行使に走った一方、文明間の対話は怠った。世界は分断と不寛容に覆われてしまった。

 米国内では人種間のヘイト犯罪が相次ぎ、トランプ前政権は特定の国々の市民を入国禁止とし、国境に壁をつくった。

 欧州でもテロの頻発を背景に嫌イスラム・反移民の風潮が広まり、極右政党が伸長した。

 テロ犯の多くは、欧州で生まれ育った移民の子だった。同じ国民でもイスラム教徒への偏見ゆえに孤立し、暴発する。米欧は国民統合の失敗が生み出す暴力の危うさにも直面した。

 この20年でいくつもの分断線が世界に引かれ、深まった。多文化共生をめざし、寛容を取り戻す努力が改めて求められる。

 ■強権が各地で増長

 テロ掃討を正義と定めた米国主導の「対テロ戦争」は、とりわけ強権国家で矛盾を生んだ。反体制勢力が「テロ組織」のレッテルを貼られ、排除されたからである。

 「アラブの春」後のエジプトでは、選挙で勝った政権を軍などの旧体制が覆した。シリアでは独裁政権が反政府勢力を「テロ」として内戦に陥った。

 ロシアでは野党政治家が、中国では新疆ウイグル自治区の人々らが弾圧されている。トルコやフィリピンなどでも反テロ名目で権威主義化が進んだ。

 バイデン米大統領は、いまの世界は「民主主義対専制主義」の闘いだと言う。だが、その専制主義の伸長を招いた要因の一つは、米国の対テロ戦争だったことを忘れてはなるまい。

 米欧の足元でも、法の支配や人権の原則が揺らいでいる。

 司法の手続きを度外視して「テロ容疑者」の長期拘束を続けるグアンタナモ米軍基地は、いまなお存続している。

 多くの国々の日常には、見えないテロ対策が浸透した。思想や宗教など特定の属性にもとづく人物調査、監視カメラや顔認証による追跡、通信傍受などが広まり、プライバシーの領域が狭められている。

 自由の原則を削ってでも安全確保を優先する。9・11後、そんな思考を受け入れてきた流れを立ち止まって見直すときだ。

 ■持続できる世界築け

 国内外に潜むテロの根源を抑える。格差や貧困、人種や宗教間の差別や抑圧を減らす。その取り組みが必要だ。他国の人権侵害に目をつぶり、自国の扉を閉ざして監視することでは決して解決しえない問題である。

 9・11の直前に公開された映画「カンダハール」で隣国の内情を描いたイランのモフセン・マフマルバフ監督は語った。

 「アフガニスタンは忘れられた国でした。権力がミサイルでなく書物を降らせていたら、無知や部族主義やテロははびこらなかった。足元に地雷でなく小麦の種を埋めていたら、数百万人が死と難民への道をたどることはなかったでしょう」

 当時、アフガン難民は600万人を超えていた。国連の難民高等弁務官だった故・緒方貞子氏は、世界がこの人道危機に目を向けないことを憂えていた。テロには「軍事力で最終的な答えは出ない」。そう訴え、退任後は復興支援に取り組んだ。

 9・11当時、国際社会は国境を越えるテロにおののき、もはや一国だけで安全は保てないグローバル時代の現実に気がついたはずではなかったか。

 感染症や気候変動問題と同様に、国家間の競争では対処できない世界共通の課題がテロ問題であり、その根絶をめざす道は国際協調しかない。

 内向き思考から脱し、国を問わず誰もが希望と尊厳を持てる「人間の安全保障」を追求する。その取り組みはすなわち、持続可能な世界をつくる努力である。その責務からはどの国であれ、撤退できない。