(社説)経済財政白書 政策の誤りこそ分析を

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 新型コロナ感染拡大の次の波に襲われた場合、どんな経済対策をとるべきか。その判断に欠かせないのが、これまでの政策を検証し反省を生かすことだ。だが、司令塔となる内閣府が先月公表した経済財政白書には、検証がないも同然である。

 賛否が分かれる支援策の一つは一律10万円の定額給付金だ。コロナ禍の影響は業種や働き方で大きく違う。一律給付がどれほど消費に結びついたのか、困った人に必要額が行き届いたのか、振り返る必要がある。だが白書は、給付金などで「(20年の貯蓄額が)約30兆円の増加となった」と述べるだけだ。

 旅行支援策「Go To トラベル」の検証もおざなりである。支援策もあって、「国内旅行は、20年夏から秋にかけては、持ち直しが進んでいた」とするが、国民が知りたいのは、感染拡大との関係や定量的な需要刺激効果である。こうした分析がないまま「(今後は)繁忙期と閑散期の平準化を講じることが求められる」と結論づけられても、説得力に欠ける。

 企業への資金繰り支援についても、非効率な企業を温存する副作用が生じた可能性を示す論文を脚注で紹介するにとどめた。自ら分析しないのでは、無責任のそしりを免れまい。

 確かに政府の公式見解となる白書には、自己批判が難しい面があるのは事実である。だが、前身の経済白書は93年に、財政金融政策の行き過ぎた拡張がバブル景気を起こす一因になったことを認めるなど、時に政策の誤りを率直に認めてきた。

 未知のウイルスへの対応は手探りとならざるをえない。後になってみれば不適切とわかる政策をとってしまうこともあるだろう。求められるのは、虚心坦懐(たんかい)にミスを認め、同じ誤りを繰り返さないことである。

 「もはや戦後ではない」など日本経済史を刻んできた経済白書の影響力はいまはない。01年の省庁再編で、経済企画庁が政権中枢とより近い内閣府に衣替えしたことで、白書は政権の重要政策をひたすら美化する内容に変質してしまった。時々の経済の論点を提示する役割を放棄すれば、世間から顧みられなくなるのは当然である。

 47年に出た最初の経済白書に次の一節がある。

 望まぬ現実には目をおおい、望む方向には事実を曲げようとする為政者の怯懦(きょうだ)な態度は、はかりしれぬほど国民に災いした――。

 白書の原点は、政府の姿勢を反省し、戦後の苦境を包み隠さず国民に伝え、ともに復興へと歩むことにあった。戦後最も厳しい経済危機とされる今こそ、忘れてはならない視点である。