(社説)憲法75年の年明けに データの大海で人権を守る

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 米国のグーグル、アップル、フェイスブック(現メタ)、アマゾンはGAFA(ガーファ)と総称される巨大IT企業だ。検索や商品の売買、SNSなどの場をネット上に設けていることから、プラットフォーマーと呼ばれる。

 いま、これらと無縁の暮らしをしている人はどれだけいるだろうか。その影響力の大きさから、主権国家にも比すべき「新たな統治者」と呼ばれることもある。

 現実の国家の多くが、憲法によって権力の行使を制約され、個人の基本的人権を保障しているのと同じように、巨大IT企業の行動にも、一定の枠をはめ、個人を守るべきだという議論がなされている。

 ■巨大IT企業VS.国家

 日本国憲法の施行75年を迎える今年、データの大海であるデジタル空間のありようをめぐる議論を、より深めたい。

 フェイスブックは昨年、社名を変更し、今後は「メタバース」事業に力を入れると発表した。メタバースとは、ネット上の仮想空間で、人々は自分の分身である「アバター」を参加させ、離れたところにいる人どうしが会話をしたり、買い物したりするのだという。同社は、将来は数十億人が訪れる場になるとしている。

 憲法学者でAI(人工知能)にも通じる山本龍彦慶応大教授は、この構想について、国家をしのぎかねないプラットフォーマーの力を「リアルに感じた」と語る。

 「我々の生活が仮想空間に移る。そこでのルールはザッカーバーグ(最高経営責任者)が作る。彼はいわば立法者。民主的手続きを経ていない『法』が我々を拘束することになる。今までの民間権力とは次元が違う」

 昨年初め、暴力をあおるトランプ米前大統領のアカウントをフェイスブックとツイッターが凍結した一件も、その当否はともかく、プラットフォーマーが場合によっては表現の自由、ひいては民主主義と衝突する危うさを浮き彫りにした。

 その力の源泉は、ネットを通じ、世界中から手に入れている膨大な量の個人情報である。それをもとにしたターゲティング広告や、一人ひとりの「信用力」による格付けなどは、個人の自由意思を左右し、その人生に大きな影響を与えかねない。

 ■「個人の尊重」軸に

 こうした危うさにいち早く対応しているのが、個人情報の保護を基本的人権と位置づけている欧州連合(EU)だ。18年に施行した「一般データ保護規則」は、21世紀の「人権宣言」とも呼ばれる。

 ある企業が自分のどんな個人情報を持っているかを知る権利、その情報を別の企業に移すことができる「データポータビリティー権」などが定められた。

 プラットフォーマーが自動処理で人物像を予測するプロファイリングに対して異議を唱える権利や、ネット上の個人情報を消すことを求める「忘れられる権利」も盛り込まれている。

 伝統的に表現の自由を重視してきた米国でも、規制への流れが強まっている。

 日本は追いついていない。

 一昨年暮れに閣議決定されたデジタル社会の実現に向けた「基本方針」には、「個人が自分の情報を主体的にコントロールできるようにすること等により、公平で倫理的なデジタル社会を目指す」とうたわれた。

 しかし、昨年5月に成立したデジタル改革関連法には盛り込まれなかった。「一般的な権利として明記することは適切でない」というのが政府の説明だ。

 日本国憲法の核心とされる13条は「個人の尊重」を掲げ、個人が自分に関する情報を自分で管理する権利もここから導き出される。長年の議論が実っていないのがもどかしい。

 ■力ある者の抑制均衡

 昨年暮れの衆院憲法審査会では、個人情報の不適切利用や、ネット上の情報操作によって民主主義がゆがめられる危険性などが指摘された。個人情報保護の憲法上の位置づけを明確にすべし、データに関する基本原則を憲法にうたうべし、といった意見も出された。

 憲法に書かなくても、個人情報保護法に「自己情報コントロール権」を明示すればいいという考え方もある。

 いずれにせよ、国民の「知る権利」とのバランスに留意しつつ、データをめぐる自由と権利を整えていく必要がある。

 むろん営利企業としてのプラットフォーマーにも自由は認められなければならず、行き過ぎた規制は避けるべきだろう。多国籍に展開する巨大企業に対峙(たいじ)するには国際的な連携も必要になる。

 一人ひとりの人権を妨げる危うさは、国家にこそ潜在することも忘れるわけにはいかない。国家がデータを集中、独占すればSF的なディストピアが出現する。

 何より個人の尊重に軸足を置き、力ある者らの抑制と均衡を探っていかなければならない。

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