(社説)高校の教科書 「探究」実践のために

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 掲げた理想がどんなに素晴らしくても、実践に結びつかなければ意味がない。そのための環境をどう整え、生徒の力を引き出すか。大人たちの取り組みが問われる。

 新しい学習指導要領で推進がうたわれた「探究学習」のことだ。高校生がみずから課題を見つけ、調べ、考え、その結果をリポートなどにまとめる経験を通して、思考力や判断力、表現力を養うことをめざす。

 文部科学省が、主に高校2、3年生が来年4月から使う教科書の検定結果を公表した。どの教科も、この「探究学習」を進めるための仕掛けが随所に盛り込まれ、興味深い内容に仕上がっている。

 たとえば政治・経済や倫理の教科書には、コロナ禍のもと、感染拡大の防止という公共の福祉のために、私権をどこまで制限することが許されるか、そのバランスを考えさせるページがある。「18歳成人」の導入を踏まえて、各国のその世代の若者の意識調査結果を紹介し、話し合いを促す企画もある。

 考えや価値観の違いを知り、理解しあうことの大切さを知る授業。それは、多様な人々との協働が求められる、明日の社会の担い手を育てるために欠かせない。大学側も入試でその力を見極めようと動き始めた。

 ただし、生徒が自分の頭で考え、結論を導き出すには、相応の時間が必要だ。それなのに新指導要領は「脱ゆとり」の流れを引き継ぎ、習得させる知識の量を変えていない。現在の教科書でも最後のページまで教えきるのは難しいのに、さらに新たな課題に挑戦できるか。そんな懸念が聞こえてくる。

 コロナ禍で学校には様々な制約が課され、ひとたび感染が拡大すれば授業の予定は大きく狂う。目標と現実が乖離(かいり)していないか、文科省は現場の声に耳を傾け、目を凝らす必要がある。

 学習指導要領はおおむね10年に1度改訂される。次回は27年ごろの見込みだが、そんな慣例に縛られず、必要に応じて作業の前倒しも検討すべきだ。

 教える側も試される。

 知識を伝える一方通行のスタイルでは探究学習の名に値しない。そしてそれを転換するためには、研修を受けたり、授業の組み立てを考えたりする手間と労力が必要だ。その意味でも、教員の厳しい労働環境の改善は避けて通れない課題だ。

 先生たちが時間的、精神的な余裕を持てるように、社説は不要な事務作業の削減や外部人材の活用を繰り返し唱えてきた。「探究」の実が上がるか否かは、働き方改革に臨む文科省や各地の教育委員会の姿勢にかかっている。

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