(社説)支局襲撃35年 暗黒の時代に戻さない

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 兵庫県西宮市で市長室長を務める谷口博章さん(51)は、多くのコンクールで入賞し、国際的に活躍するピアニストでもある。昨年に続き、あす3日、市内の朝日新聞阪神支局を訪れることを決めている。

 35年前のこの日、支局に散弾銃を持った男が押し入り、小尻知博記者(当時29)が死亡、犬飼兵衛記者(18年死去)が重傷を負った。「赤報隊」の名で、朝日新聞の報道姿勢を「反日」と批判する犯行声明が出た。

 「市役所のすぐ近くで、表現を暴力で封じようとする事件があったことについて、詳しく知っておきたい」。ペンと音楽。分野こそ違え、表現活動に長年携わってきた谷口さんは話す。

 一連の朝日新聞襲撃事件は03年までに公訴時効が成立した。いくら時間が経っても、言論・表現の自由を脅かす卑劣な犯行を決して許すことはできない。

 いま世界を見渡せば、この思いを多くの人と共有する必要をひときわ強く感じる。

 ウクライナに侵攻したロシアでは、政府に批判的な報道を封じるためにメディアの締めつけが進む。「偽情報」を流した者に最長で禁錮15年を科す法律も制定された。香港では香港国家安全維持法の下、中国政府に厳しい論調で知られた新聞が廃刊に追いこまれた。軍政下のミャンマーなども、同じようにものを言えない状況にある。

 留意すべきは、たとえばロシアの場合、戦争により国家が非常時態勢に移行して統制が始まったのではなく、以前から自由な言論空間は徐々に狭められていき、その帰結として侵略があったという事実だ。

 平素から権力の逸脱に目を光らせ、おかしいと思えば声をあげることが、いかに大切か。騒ぐほどではない、自分には関係ないと黙っているうちに、取り返しのつかない事態に至る。歴史の教えるところだ。

 日本にとっても決して他人事ではない。

 3年前の参院選で街頭演説中の当時の安倍首相を批判した人を、北海道警が排除したり、つきまとって行動を制約したりする出来事があった。札幌地裁は3月、基本的人権の侵害にあたるなどとして賠償を命じた。

 表現の自由を民主主義を支える重要な権利と位置づけ、警察のゆきすぎに警鐘を鳴らす判決だった。一つ一つをゆるがせにせず、健全な社会を維持する。裁判を通じて、その思いを強くした人は多いのではないか。

 赤報隊は「反日朝日は五十年前にかえれ」と書いた。もちろん返事はノーだ。日本を言論の暗黒時代に戻すわけにはいかない。戦禍が広がるなかで迎える5月3日に、改めて誓う。