(社説)外国籍住民の人権 放置できない「憲法の空白」
2年を超えるコロナ禍は、この国が抱える多くの矛盾や課題を浮き彫りにした。
そのひとつが日本で生活する外国人の人権をめぐる問題だ。同じ社会の構成員であり、今やその存在抜きに日々のくらしも経済も成り立たない。にもかかわらず、権利や自由の保障は十全と言えず、パンデミック下で様々な苦境に陥った。
人権とは、性や人種、国籍などの違いを超えた普遍的なものだ。憲法の空白というべき状況を続けることは許されない。
■貴重な足がかりに
基本的人権を定めた憲法第3章の表題には「国民の権利及び義務」とあり、一見すると日本国籍を持つ者にのみ適用される規定のように読める。
だが最高裁大法廷は、1978年の「マクリーン事件」判決で、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」と述べている。
判決は一方で、外国人の在留の許否について国に大幅な裁量を認めたため、各界からの批判が絶えない。だからといって、先の判示をただのリップサービスと片づけるべきではない。これを足がかりに、外国人が置かれている実態を不断に点検し、公正適切な取り扱いを実現することが求められる。
判決当時から時代は大きく変わった。昨年10月時点の外国人労働者は、コロナ禍で伸びは鈍ったものの172万7千人と過去最高を更新した。水際対策の強化で新規入国者が著しく減ったときは、農業、漁業からまちのコンビニまで事業の維持・存続が懸念され、この社会が外国人によって支えられていることを改めて思い起こさせた。
ではその人たちは、どんな環境に置かれているか。
非正規雇用、長時間労働、低賃金に甘んじることが多く、雇い主に旅券を事実上取り上げられ、離職できない例もある。コロナ下でも調整弁扱いされ、解雇や雇い止めが相次いだ。
外国人もむろん労働保護法制の対象だが、どんな権利があるのかも知らされていない。支援にあたる人々はそう指摘する。
■共生の理念なお遠く
過酷な境遇を物語る裁判が進んでいる。
熊本県のミカン農園で働いていたベトナム人の技能実習生、レー・ティ・トゥイ・リンさんは1年5カ月前に起訴された。
ひとり自室で双子を死産し、翌日まで段ボール箱に入れていたことが死体遺棄罪に問われた。技能実習生の間では、妊娠したら帰国させられると言われていて、リンさんは身ごもったことを誰にも告げられなかったという。
福岡高裁はそうした実情を認めつつも、執行猶予つきの有罪とした(上告)。だが、刑罰を科して一件落着という話でないのは明らかだ。
妊娠・出産に伴う女性の権利をどう考えるか。本人にわかる言葉で、日本の医療・保健制度を説明したり、助言したりする態勢は整っているか。憲法が保障する幸福追求権や生存権とはいったい何なのか――。
3年半前、外国人労働者のさらなる受け入れ拡大に向けて改正出入国管理法が成立した際、政府が約束した「共生社会」の実現は、はるかに遠い。
他にも外国人を取り巻く「憲法の空白」は枚挙にいとまがない。人種や民族の違いを理由にした差別的言動が依然横行し、一時、政界で機運の高まった永住外国人への地方参政権の付与も後景に退いてしまった。
■入管に「法の支配」を
体調不良の訴えを聞き入れられず、出入国在留管理庁の施設内で昨年亡くなったスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんのことも、忘れるわけにはいかない。外国人を管理・摘発の対象とのみとらえ、人権意識を著しく欠いた入管当局の体質を象徴する事件だった。
ところが政府は、その権限の維持・強化につながる入管法改正案を、秋の臨時国会に提出する構えを見せている。
在留期間が過ぎた外国人を送還しやすくするのが狙いで、国連機関などから批判された末、昨年廃案になったものだ。
法案には、難民に準じて保護が必要な人を受け入れる手続きの新設も含まれており、政府はウクライナ情勢を理由に整備は不可欠だと主張する。そうであるなら、本質的な欠陥を正したうえで再提出するのが筋だ。
外国人登録法が廃止され、3カ月を超えて生活する外国人は日本人同様、自治体に住民登録するようになって10年になる。外国籍の人も諸権利の主体であることを明確にする動きだったが、当時、国会審議などで指摘された、より踏み込んだ人権の保障や入管行政の透明化などは引き続き課題のままだ。
憲法は国民主権、平和主義とともに人権の尊重を基本原理とし、前文で「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」と宣言する。その誓いを果たさねばならない。
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