(社説)銃社会の米国 人命を守る民主主義を

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 安全な学びの空間であるべき教室が、銃による殺戮(さつりく)の場となる惨劇がまた米国で起きた。

 テキサス州の小学校で男が銃を乱射し、児童19人と教員2人が死亡した。容疑者は地元に住む18歳で、教室に1時間近く立てこもり、警官に射殺されるまで凶行に及んだという。

 大勢が犠牲になる乱射はこれまでも繰り返されてきた。大きく報じられずとも、銃が絡む事件は各地の教育現場で「日常」となっている現実がある。

 「うんざりだ」。バイデン大統領はそう嘆く。怒りを共有する米国人は少なくないだろう。だが、それは子の命を守れない政治の無策にも向けられていることを忘れてはならない。

 背景には、人口を上回る4億の銃が社会にあふれる実態がある。しかもテキサスなど多くの州で、戦場で用いられるような銃が厳格な審査もなく販売されている。

 今回の男も殺傷力の高い銃を合法的に購入したという。18歳の若者がなぜ単独で購入できたか。取引でどんなやりとりがあったのか。疑問は尽きない。

 たしかに合衆国憲法は、市民が武装して自衛する権利を規定している。しかし、それは独立と自由を勝ち取った建国後まもない当時の理念にもとづくもので、善良な市民への攻撃が許されるはずもない。

 今までも乱射事件のたびに購入審査の厳格化や高性能銃の販売規制などを求める世論が盛り上がった。だが、何を守るべきかという冷静な議論を欠いたまま、銃規制の是非ばかりが争点となり、有効な解決策は置き去りにされてきた。

 さらに懸念されるのは、自分と異なるアイデンティティーや信条を持つ相手を敵と見なす風潮が近年の米国で強まっていることだ。アジア系など特定人種への憎悪犯罪が横行し、妊娠中絶問題など価値観をめぐる問題で市民同士がいがみあう。

 銃が蔓延(まんえん)する社会に、非寛容が広がる恐ろしさが浮き彫りになる事件も多い。最近、ニューヨーク州の食料品店で白人至上主義を標榜(ひょうぼう)する若者が起こした乱射事件では、死傷者のほとんどが黒人だった。

 格差の拡大や価値観の多様化など分断の原因は複雑だ。しかし、意見や立場の違いを超えて共存をめざすどころか、対立をあおることで支持を固める手段と堕した今の政治のありようこそ、改める必要がある。

 米国は民主体制の利を世界に説くのであれば、足元の民主主義も見つめ直すべきだろう。理不尽な暴力におびえずに学べる社会をどう築くか。違いを超えて知恵を絞り合う協働を、その第一歩としてほしい。

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