(社説)参院選 教育政策 現場の疲弊に目を
どの時代、どの社会でも、未来を担う子どもの教育が大切なのは、改めて言うまでもない。明治以降の近代化も、敗戦からの復興も、一定水準の教育を受けられる環境が、全国にあったからこそ可能だった。
ところがいま、その基盤が揺らいでいる。
通常の授業に加え、保護者対応や部活動の世話で多くの先生が長時間労働を強いられる。心身を病んで休・退職する人が増え、年度初めに学級担任がそろわなかったり、途中でいなくなったりする例が見られる。過酷な労働環境が広く知られたことで、教職を志す若者が減り、窮状に拍車がかかる――。
教育現場の厳しい現実だ。
これに対し、今回の参院選の公約で各党はどんな対策を打ち出しているか。
自民は「勤務時間管理の徹底、学校及び教師が担う業務の明確化・適正化」を掲げる。だが、あまたある仕事の何をどう整理して「明確・適正」を図るのか、具体策は見えない。
公明は「将来的には小中で30人の少人数学級をめざす」と訴える。野党各党も同様に少人数学級の拡大や先生の増員を言うが、財源は示されていない。
教員の働き方に関連して注目を集めるようになったのが、半世紀前に制定された教職員給与特別措置法だ。月給の4%分を一律支給する代わりに、残業代は出さないと定めたものだ。
立憲民主、共産は実態とのずれを指摘し、同法を廃止して、働いた時間に見合った報酬を支払う制度に変えると主張する。しかしここでも、9千億円とされる残業代をどう捻出するかの言及はない。一方、自民、公明は、教員の処遇のあり方について「検討を進める」と書くにとどまる。
突然浮上した問題ではない。この間どこまで危機感を持ち、政策を練ってきたのか、疑問を抱かざるを得ない。
教育分野で各党が前面に押し出すのが、家庭の費用負担の軽減だ。国民民主が持論である年間5兆円の「教育国債」の発行を唱えるものの、財源論争は深まらないまま、「幼稚園から大学までの全教育無償化」「高校の授業料無償化における所得制限の撤廃」「修学旅行費も含めた高校までの教育の完全無償化」などの公約が飛び交う。
日本は教育への公的支出が少ない。貧困の連鎖を絶つためにも、家計負担を減らす政策を競い合う意味は大きい。だがそれも、現場の先生が元気で、学びの場をしっかり準備し、提供できていることが前提だ。
学校の働き方改革をどうやって進めていくか。より踏み込んだ論戦が求められる。