(声)平和のバトン 一杯のお茶、母の戦後が終わった
無職 高森道子(熊本県 72)
先の大戦で父の出征が決まった時から、母はそれまで大好きだった日本茶を飲むことをやめた。父は脇腹に銃弾を受けながらも、終戦後に帰国できたが、母はその後もお茶ではなく、白湯(さゆ)を飲んでいた。そのことを私を含めた家族は、あまり気に留めていなかった。
1994年、父…
無職 高森道子(熊本県 72)
先の大戦で父の出征が決まった時から、母はそれまで大好きだった日本茶を飲むことをやめた。父は脇腹に銃弾を受けながらも、終戦後に帰国できたが、母はその後もお茶ではなく、白湯(さゆ)を飲んでいた。そのことを私を含めた家族は、あまり気に留めていなかった。
1994年、父…